UNTITLED 1-3-2

BY SHIINA


 どのぐらい意識を失くしていたのだろうか。

 目覚めると、すぐそこに心配そうに自分を覗き込んでいる誰かの顔があった。
「……気がつきましたか?」

 高耶は何度か目をしばたかせ……その相手が、あの時の男だとわかった瞬間、ハッと起き上がろうとした。
「───ッ、」
 またしても激しい目眩で倒れそうになるのを、今度は男の腕でしっかりと支えられる。
「駄目ですよ、まだ起きられる状態ではないのですから、寝ていなければ……大丈夫ですか?」

 支えようとする腕を払い、高耶は必死にベッドに起き上がった。
 高耶が自力で起きていられるのを認めた男は、素直に支えていた手を放した。

 高耶が睨み付けるのにも、男はまるで気にした様子がない。それどころか、楽しそうに笑まで浮かべている。

「驚きましたよ、まだ眠っているはずのあなたが、倒れているのを見た時は。どうやらシンナー遊びのしすぎで、薬に強くなってしまわれたようですが、いけませんね……」
 云いながら、男が再び自分に向かって伸ばしてくる手を、激しく払うと高耶は叫んだ。
「……触るなっ!」

 敵意に燃えた目に、男は苦笑しながら、
「熱があるか見ようとしただけです、……そんなに警戒しないで」
「……あんたっ!……」
 憤るあまり、それきり言葉の続かない高耶に、男はにっこりと微笑んだ。
「……直江、ですよ。直江と呼んで下さい。仰木高耶さん」

 直江と名乗った男は、あの時と同じ、黒いスーツ姿だった。
 何もなかったはずの室内には、いつのまにかベッドサイドに小さなテーブルと、椅子が運び込まれていて、男はその椅子に腰を下ろし、微笑しながら高耶を見つめている。

 しばらく押し黙ったまま、男を睨み付けていた高耶だったが、沈黙に耐えられなくなったのか、ふいに口を開いた。
「……どういうつもりだよ」
「何がですか?」
 男は穏やかな口調で云う。高耶は自分の首を繋ぐ鎖を掴んで、叫んだ。
「なんでこんなことすんだよ!」

 男は微笑して、
「……あなたの為に用意した特別製ですよ──お気に召しませんか?よくお似合いですよ」
「てめえっ!」
 思わず怒鳴ってみたものの、またしても後が続かなかった。
 この男の考えていることがわからない。自分は金持ちの子供などではない。こんなヤンキー崩れのガキを閉じ込めて、いったい何になると云うのだろう?

「……あんたが何考えてんだか知らねーけど、オレなんか誘拐したってオヤジはアル中だし、一銭にもならないぜ?」
「わかっていますよ。あなたのことは、何でも知っていると云ったでしょう?お金が目的ではありませんから、ご心配なく」
「じっ……じゃあ何なんだよっ!!」
「何って?」
「なんか目的があるから、こんなことしてんだろ?云えよ!」

 何が目的だと云われて、直江は苦笑した。
 もし「体」と答えたら、このひとはいったいどんな顔をするだろう。
 無論、それはまだ云わない。時間はこの先、いくらでもある。焦る必要はなかった。もうこのひとは永遠に自分のものなのだから。

「……あの時わたしが云った言葉、忘れてしまわれましたか?探していたと云ったでしょう、あなたを」
「人違いだっ!オレはあんたなんかッ」
「知らない、ですか?……本当に何も覚えていらっしゃらないのですね……まあ、あなたの記憶があろうとなかろうと、今更関係ないですけどね」
「あんた、何云って……」
 わけのわからないことを云われ、混乱する高耶に、男はたたみかけた。

「死のうとしてたんでしょう?どうなってもいいと思ったから、あの薬を飲んだのでしょう?だったら、しばらくここでゆっくりして行ったらいいじゃないですか」

 絶句して、高耶はしばらくの間、呆然と男を睨み付けていたが……ようやく口を開くと、低い声で云った。
「………出せよ」
「何を?」
「この首輪の鍵を出せって云ってんだよ!」

 すると、男はすまなそうな表情で、
「外してあげたいとは思うのですが、どうやら鍵を失くしてしまったようで……困りましたねぇ」
 しらじらしい言葉に、高耶が激昂した。
「てめぇ……っ!」
 男はまるで気にした様子もなく、宥めるように、
「……どうせ学校もつまらないし、家でも暴力を振るわれていたのでしょう?少し、ここでゆっくりして行けばいいじゃないですか。そのうち鍵も見つかるかもしれませんよ?」

 男のこの言葉を聞いて、高耶は自分がたった今まで、妹のことをまるで失念していたことにようやく気づいて、ハッとなった。

「美弥ッ……!」
 思わず呟いた表情が、みるみる青ざめていくのを、男は黙って見つめている。その目が笑っていないことに気づかぬまま、高耶は叫んでいた。

「きっ、今日、何日だよっ!今何時だッ!?早く帰んねーと美弥が……ッ」
 アル中の父親は、自分がいなければ、容赦なく妹に手をあげるのだ。今頃、どんな目にあっているかわからない。

「あんたが何考えてんだか知らねーけど、マジで帰んねーとヤバイんだよッ!妹がっ!」

 自分が置かれている状況を、まるで理解していないような高耶に、男は苦笑して云った。
「随分、妹思いなんですね、あなたは……」

 男は微笑っているが、その言葉には微かな棘が感じられた。それが、ようやく手に入れた景虎が、自分以外の人間を気づかうことへの嫉妬から来るものだとは、無論、当の高耶は知る由もない。

「持ってんだろ鍵ッ!早く出せよッ!帰んなきゃ妹がッ!こんな冗談につきあってる暇ねーんだよッ!」

 冗談、と云う言葉を聞いて、男が暗く微笑んだ。

「冗談、ですか……。あなたが妹さん思いの優しいひとだと云うのはよくわかりましたが、もう少し今の状況を考えて、少しはご自分の心配もされた方がいいのではないですか?高耶さん」

 今までと違い、明らかに棘のある口調。
 ようやく高耶は、どうやら知らないうちに、自分が男の機嫌をそこねてしまったことに気がついた。

「あ、あんたっ……」
「直江、ですよ。さっき、そう呼んで下さいと云ったでしょう?やっと会えたあなたに、怯えさせるようなことは云いたくないのですが、冗談だと思われるのは心外ですからね……探して探して、ようやく見つけたんです。可哀相ですが、そうあっさりと帰してあげるわけには行きません」

 穏やかだが、男の言葉には有無を云わせない迫力があった。
 高耶は、自分がビルの屋上で意識を失う直前に感じた恐怖を思い出してゾッとした。この男が、普通ではないと云うことを、改めて思い出したのだ。

「ど……どうするつもりだよ、オレを……」
 思わず、声が震えた。この男が何者で、何を考えているのかはわからないが、どうやら本気で自分を閉じ込めるつもりらしいと云うことだけは、嫌でもわかった。

 真剣に怯え出した高耶に、男はにっこりと微笑んだ。
「怖がらないで。やっと会えたあなたに、酷いことなんてしないから。ただ……あなたといたいんです、他には何も望みません」

 男はまっすぐ高耶を見つめて云った。

「あなたといたいんです……高耶さん」





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