UNTITLED 1-4

BY SHIINA


 10帖ほどのコンクリート打ち放しの部屋。この部屋に連れ込まれて、もう何日になるだろうか?

 高耶は冷たい石の床に、片膝を抱えて座り込んでいた。
 室内にあるのは、銀色の鉄製の大きなベッドと、他には小さなテーブルと椅子が一つだけ。
 この部屋には電話はおろか、時計もテレビもない。愛用していた腕時計も取り上げられてしまった為、今日が何日か、今が何時なのかもわからない。

 ベッドの枠に繋がれた首輪の鎖は、しっかり計算されているようで、バスルームには届くが、肝心の外に出る為のドアや、窓までは届かない。
 ベッドを動かして窓の外を見ようとしても、重い鉄のベッドは、高耶の力ではビクともしなかった。

 せめて窓の外を見ることができれば、ここがどこかわかるかもしれないし、助けを呼べるかもしれないのに……

(美弥……)
 見知らぬ男に閉じ込められているという現実も無論だが、高耶が気にかかるのは、やはり何と云っても妹のことだった。

 母親が出て行った上に、今度は突然、自分がいなくなったのだ。妹には自分以外、頼る人間などいない。あのアル中の父親と二人きりで、今頃いったいどんな目にあっているか……

 見知らぬ人間に気を許し、自暴自棄になって、自らわけのわからぬ薬を飲んでしまったことを高耶は悔やんだが、今となっては仕方がない。ここから出ることを考えなければ。
(……でも、どうやって?)

 素手で首輪の鍵を外すなど、絶対に不可能だ。あの男は鍵を失くしたと云ってはいるが、それはもちろん嘘だと思う。何とか隙を見て、男の上着のポケットを探る価値はある。

 あるいは、鍵がどうしても見つからなければ、何かピンの類いでもいい。もちろんピンで鍵など開けたことないし、それで本当に開けられるかどうかわからないが、この鍵を外せそうなものなら、この際、何でも構わない。

(とにかく男を油断させるんだ……)
 チャンスを待つこと。結局、今の高耶にできるのはそれしかなかった。

(それにしてもあいつ……)
 男のことを考える度に、高耶は困惑するばかりだった。あの男が何を考えてこうしているのか、いまだにわからないからだ。

 最初の二、三日は何をされるかと怯えていたが、別に危害を加えるつもりはないらしく、男の態度は丁寧で、むしろ優しかった。
 いつも父親に暴力を振われ、町では喧嘩ばかりを繰り返していた高耶は、こんな風に誰かに優しくされたことなどなかったので、ひどく気味が悪かった。
 母親に捨てられ、父親に殴られるのに、自分を誘拐し、首輪までつけて閉じ込めている犯人に優しくされるなんて、絶対おかしいと思う。

 男はいつも高耶を必ず「高耶さん」と呼び、年下の高耶に終始、敬語で話す。
 食事は一日三回、男の手でレストラン並みの豪華なものが用意された。
 最初は喉を通らなかったが、逃げる為には体力が必要だと、今は開き直って食べている。

 男はこの部屋にいる時は、いつも高耶を見ている。何が嬉しいのか、笑まで浮かべて。
「自分を長い間探していた」と云うが、もちろん高耶は今までに、この男に会ったことも、見たこともない。

 だいたい20代半ばのあの男が、中学生の自分を探していたと云うのがおかしいではないか。
 何度か、それをさりげなく指摘してみたが、男は微笑するばかりで、その度に同じ答えが返ってくるだけだった。
「……私があなたを間違うとでも?」

 やはりあの男はマトモそうに見えて、狂っているのだと思う。
(勝手に思い込んで、つけまわしたりするのをストーカーっていうんだよな)
 あいつもきっと、その類いに違いない。そんな風に見えないから、よけい恐ろしいような気がする。

 だが、もっと恐ろしいのは……実はこれこそが、高耶が本当は、妹のことより頭を悩ませていることだったのだが……

 認めたくはないが、男と何日か過ごしてみて、自分がかつて、本当に、男を知っていたような気がしてきた……ということだった。
 そんなことがあるわけがないのに。見たことも会ったことすらない相手だというのに。

 それでも、男の持つ雰囲気を、どこかで知っていたような気がする。閉じ込められたと云うのに、男を、それほど嫌っていない自分がいる。何かとても大事なことを、自分は忘れてしまっているような気がする……
 時折、無意識に思い出したい、思い出さなければと考えている自分に、高耶は激しく動揺した。

 本当に、どうかしている。
 閉じ込められて、自分までおかしくなってしまったのだろうか。

 あれこれと考えを巡らせていると、足音が近づいて来るのに気づいて、高耶はハッと顔を上げ、ドアを見つめた。 鍵を開ける音がし、開いたドアから現れたのは、やはり直江だった。

 いつもと同じ黒いスーツ姿で、両手に大荷物を抱えた直江は、高耶を見るなりにっこりと微笑んだ。
「高耶さん、起きていらしたんですね。おはようございます。気分はいかがですか?そんな冷たい床に座り込んで……駄目ですよ、風邪をひきます」

 幾分、身構えながら、高耶は近づいてくる男を睨み付けた。

 直江はそんな高耶の視線などまったく気にした様子もなく、手にした包みを開けながら、
「お腹すいたでしょう?高耶さんは魚がお好きなようなので、和食を用意しましたよ。召し上がりませんか?口に合うといいのですが……」
 暢気な男の声に、一瞬、カッとなったが、高耶は堪えた。怒っても無駄だとわかっている。

 食事はあいかわらず豪華で、今まで見たこともないような豪華なメニューが、男の手で無造作にテーブルに並べられた。
「さあ高耶さん、どうぞ」
 椅子をひかれ、そこに座るように促される。高耶は無言で立ち上がり、ドカッと座り込むと、実際空腹だったこともあって、黙々と食べ出した。

 この部屋には椅子が一脚しかないので、その間、直江は高耶の横に立って、高耶が食べる様子を、嬉しそうに見つめている。
 自分が食事することの、いったい何がそんなに嬉しいのか?高耶にはまったく理解できなかった。



 食事が終わると、男の手で速やかに皿が片付けられ、今度は飲み物が用意される。まさしく至れり尽くせりと云う感じで、これで高耶が首輪で繋がれてさえいなければ、直江はまるで高耶の忠実な部下のようだった。

 気まずい食事が済んだ後には、さらに気まずい時間が待っている。
 男と二人きりの、長い時間。何をするでもない。無論、高耶が自分から口を開かない限り会話もない。
 直江は微笑しながら、ひたすら高耶を見ている。「見られる」と云うことが、これほど苦痛だとは高耶は知らなかった。

 ふいに、めずらしく直江が上着を脱ぎ、それを脇に置いて、ベッドに腰掛けたのを見て、高耶はハッとなった。
(上着……)
 ポケットに、もしかしたら首輪の鍵が入っているかもしれない……。
 まずそんなわけがないだとうとは思うが、それでも高耶はどうしても確かめずにいられなくなってしまった。

 自分には妹が待っている。とにかく、一日でも早く、ここから逃げて帰らなければならない。これは今の高耶にとって、紛れもなく、数少ない逃してはならないチャンスに思えた。

「……おい、な、直江……」
 高耶の方から話しかけられ、しかも名前で呼ばれて、男は驚いたようだったが、すぐ嬉しそうに笑うと、
「なんですか?」
「あのさ……、オレ、コーラかなんか飲みたいんだけど……」
思わず声が震えそうになるのを必死で堪えた。怪しまれてはいけない。

 直江は、高耶の企みに気づいた様子もなく、にっこりと笑うとすぐに腰掛けていたベッドから立ち上がった。

「コーラですか。冷蔵庫にあったと思いますよ。すぐに持ってきますから待っていて下さいね」
 上着を置いたまま、出て行く背中を、内心、やったという思いで高耶は見つめた。

 ドアが閉まり、足音が遠のくのを確認すると、すぐにベッドに駆け寄った。男が今にも戻ってくるのではないかと気にしつつ、必死で上着のポケットを探る。
(鍵……、鍵はっ……!!)

 その時だった。ドアが開くと同時に、背後から穏やかな声がした。

「……そんなに慌ててどうしたんです?私の上着のポケットから、何かいいものでも見つかりましたか?高耶さん」




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