「female」mira vervion 前編
東大寺二月堂。
男が、奈良を訪れる度、必ず立ち寄るその場所で、燃えるような赤い空に一時、眼を奪われていると、背後から「先生」と呼ぶ声があった。
彼が受け持つクラス委員の成田譲だ。
背後で、譲の友人の仰木高耶も会釈している。
男は、内に秘めた密かな想いを悟られぬよう、いつも通りの穏やかな笑顔で話しかけた。
「―――君たちもここに?」
「はい。先生はお一人なんですか?」
男は曖昧に言葉を濁した。
「ちょっと、ここのお寺に用があってね」
男の実家が栃木にある、とある真言宗の末寺だというのは、クラスではわりと有名な話だ。譲は納得したように頷いた。
「そうか、先生のご実家も、確かお寺でしたね」
傍らで、会話に加わるわけでもなく、ぼんやりと空を眺めている高耶の横顔を、男は密かに綺麗だと思う。
感情を見事に殺した、穏やかな担任の顔で、「ゆっくり見学していきなさい」と笑いかけ、男はその場を後にした。
恵まれた容姿と体躯を持ち、校長や生徒の信望も厚い、非のうちどころのないエリート教師。
そう、誰もが信じて疑わないこの男が、教え子の一人である仰木高耶に表に出せない感情を抱いていることなど、当の高耶は無論、誰一人、知る由もない。
いまはどうにか、ギリギリ己を保っているが、この調子では、いつか一線を踏み越えてしまいそうで、男は、自分が恐ろしくてたまらなかった。
日が落ち、そろそろ、宿泊先のホテルに戻ろうかと言う頃、土産物店がひしめく一画に、一軒の古びた骨董店があるのが目に止まった。
奈良には度々、訪れているが、見たことのない店だ。
何を探すでもなく、乱雑に置かれた品々を眺めているうちに、ふと、黒いガラス製の、小さな香炉が眼に止まった
「………」
特に骨董品に興味があるわけではなかったが、なぜか、ひかれるものがある。
思わず手に取って眺めていると、店の奥から、店主らしい腰の曲がった老婆が顔を見せたので、男は香炉を翳して値段を尋ねた。
老婆は、しばらくの間、哀れむように男を見ていたが、やがて、以外なことを言った。
「―――苦しんでいなさる」
男は、一瞬、あっけにとられたように老婆を見た。
「その香炉に目を止めたのが、あんたが苦しんでいる何よりの証拠だ」
「……」
どう答えたものかと、戸惑う笑を浮かべる男に、老婆は告げた。
「信じないなら仕方がないが、今のあんたに、その香炉は必要だろう。代金はいらないから、持っていくといい。自分の髪と、おもいびとの髪を結んで、その香炉で燃やせば、望む夢が見られる」
***
二日後、引率を終え、松本市内の自宅マンションに戻った男は、旅行バッグの奥から出てきた香炉を手にして、苦笑した。
無償で譲り受けた上、こんなことを言っては申し訳なく思うが、どう見ても単なるガラクタだ。
今となっては、あの時、なぜ、これにひかれたのかすら、わからない。
どうかしていたとしか思えない。だが、その原因は充分すぎるほどわかっていた。
(……あのひとのせいだ)
二月堂で、彼のことを考えていた時に、思いがけずあのひとに会ってしまったから―――
これまで、男がつきあってきたのは、皆、洗練された大人の女ばかりだった。
後腐れがなく、互いに欲望を満たすだけの関係だと割りきれる、さばさばした、大人の女。
それなのに、いったいなぜ、十一歳も年下で、しかも同性の高耶に、こんなにも、ひかれてしまったのか。
彼のことを思うと、冷静でいられなくなる。
彼につきまとうすべての人間が呪わしく、いっそ攫って閉じ込めたくなる。
いったい、自分はどうしてしまったのか。
老婆の言葉が蘇る。
(自分と、おもいびとの髪を結んでその香炉で燃やせば、あんたの望む夢が見られる)
―――馬鹿な。
どれだけ追いつめられていても、そんな世迷い言に縋るほど、まだ落ちぶれてはいないと、老婆の言葉を、男は一蹴した。
香炉は、膨大な書籍が並ぶ、本棚の隅に追いやられた。
***
それから数日間は、何事もなく過ぎた。
男は必死に自分を抑え、普段通りの穏やかな担任教師を演じ続けていたし、しばらくは修学旅行の余韻で浮き足立っていた生徒達も、少しづつ落ちつきを取り戻してきたようだ。
HRや授業のふとした瞬間に、広い教室の窓側の席で、外を眺める高耶の端正な横顔に、魅入ってしまう己を叱咤し、男はその日もどうにか、無事、一日の授業を終えた。
放課後、生徒が下校したはずの無人の通路で、男は、あろうことか高耶と出くわした。
どうやら、忘れ物をとりに戻ってきたらしい。
沸きあがる感情を殺し、通りすぎる背に、「また明日」と声をかけ、送り出そうとした時、彼の制服のシャツの肩口に、抜け落ちた髪を認めて、男は発作的に手をかけ、呼びとめてしまった。
「?」
何事かと振り向く高耶に、気づかれぬよう手早く髪を取り上げ、「糸がついていましたよ」と大げさに手で払うふりをしてみせる。
男のなかに渦巻く、己への感情など知る由もない高耶は、「すみません」と照れたように言って、ぺこりと会釈をして帰って行った。
馬鹿なことをしてしまった―――そう思いつつ、男の手には、高耶の髪がしっかりと握られている。
己の行為を嫌悪しつつ、男は彼の髪を大切にハンカチに包み、スーツの胸に仕舞い込んだ。
自宅マンションに戻り、シャワーを浴び、缶ビールと煙草を手に、ぼんやりとテレビ画面を眺めていた男は、本棚の片隅に追いやられている香炉に眼をやった。
(自分の髪と、おもいびとの髪を……)
馬鹿らしいとは思うが、なぜかあの老婆の言葉が、頭にこびりついて離れない。しかも、今日は思いがけず、高耶の髪が手元にあるのだ。
つまりは、それだけ、追いつめられてきているということか。
結局、男は、己の行動を、すべて酒に酔ったことへのいいわけにして、とうとう、高耶の髪を取り出し、自分の髪を一本抜いて、二本を結んで香炉に入れ、ライターで火をつけた。
無論、それで何かが起きるわけもなく、きつく結ばれた髪は、香炉のなかで一瞬、赤く燃え上がり、あっけなく灰になった。
(―――何をやっているんだ、この男は)
自分のしていることが、あまりに惨めで、情けない。
激しい自己嫌悪に苛まれつつ、残り少なくなったビールを一気に流し込み、短くなった煙草を、イライラと灰皿に押しつけ、男はベッドに入った。
***
薄絹の天幕に覆われた寝台の上に、高耶が横たわっている。
息を飲む男の前で、ゆっくりと眼を開けた高耶は、優雅な仕草で上体を起こすと、男に向かって誘うように手を伸ばした。
「高耶さん……」
信じがたい狂喜のなかで、男は無心にその手を取って、口づける。
濡れた声で高耶が言った。
「……お前が来るのを、ずっと待ってた……」
男は、半ば襲いかかるように、いとしい体を寝台に押し倒すと、その体から、邪魔な衣服を引き剥いだ。自らも、スーツを脱ぐのももどかしく、あらわにさせた体にむしゃぶりつく。
一糸纏わぬ姿で、逞しい体躯に組み敷かれている高耶は、熱病に浮かされたような眼で、己を欲しがる男を見つめ、その首に腕をまわして、子供のようにキスをせがんだ。
「高耶さん……ッ」
深深と重ねられる唇、熱く絡み合う舌。
散々に甘い唾液を貪って、男がようやく唇を離すと、高耶は切なげに眉を寄せて、男の名を呼んだ。
「なおえ……」
欲望を隠しもせず、縋りつく細い腕は、ただ、ひたむきに男だけを求めてくる。
いとしい体をかき抱くようにして、男が狂おしげに囁いた。
「高耶さん……あなたが欲しくて気が狂いそうだった。愛している……愛しているんだ。今日はあなたを、壊してしまうかもしれない」
「壊せよ―――」
濡れた双眸が、男を挑発する魔性のように、あやしくくるめく。
「何をしたってかまわない……オレはもう……お前だけのものだ……」
気がふれんばかりの歓喜のなかで、男はうわごとのように高耶の名を繰り返す。
無我夢中で首筋に吸いつき、感じやすい胸の突起に歯を立て―――腕のなかで切なく喘ぐ細い体は、見る間に、深紅の花びらを散らしたようになった。
しっとりと汗ばむ内腿を撫であげ、すでに腹につくほど勃ちあがり、透明な蜜を零している若いペニスを握り込み、甘い悲鳴の心地よさに眩暈すら覚えながら、上下にゆるゆると扱いてやる。
先走りに濡れる若い楔に猛る己を擦りつけ、二本を合わせるようにして、淫らに腰を使ってやると、羞恥からか、高耶が嫌々と首を振った。
「高耶さん……」
「クッ……なおっ……も、」
―――我慢できない?
揶揄るように囁くと、それでも高耶は、熱に浮かされた眼でコクコクと頷く。
男は上体を起こすと、細い体をうつ伏せ、膝を立てさせて獣の姿勢を取らせた。
双丘を掴んで左右に割り開き、あらわにさせた小さな蕾に顔を埋める。
「ヒイッ……ヒッ、」
ひける腰を押さえつけ、閉じた蕾に尖らせた舌先を潜り込ませて、執拗に唾液を送り込み、長い指を潜り込ませて解すように出し入れする。
結合の衝撃で高耶が吐精してしまわないよう、楔の根元をきつく押さえながら、滾る己を押し当てる。
脈打つ肉塊を尻の狭間に押し付けられ、先端で円を描くように擦り上げられて、受け入れる男の大きさと熱に、細い背がゾクリと震えた。
男の肉が、圧倒的な力で、唾液に濡れた入り口を抉じ開ける。
引き裂かれる激痛に、耐えかねた唇から、切ない悲鳴が押し出される中、男は構わず腰を入れ、奥深くまで結合を果たした。
「―――!」
声にならない絶叫が、空気を切り裂く。
狂わんばかりに焦がれた、いとしいひとの肉壁に包まれ、男の唇からも低いうめきが零れる。
引き裂かれる激痛に、獣のように肩で息をし、シーツを掴んで耐える指に、男の指が背後からいたわるように重ねられた。
「高耶さん……」
男は、何度も何度も、苦痛を堪える背に口づけ、繋がった腰を宥めるように揺すってやる。
「ヒイッ―――ヒッ……!なおっ……」
僅かに引いた腰を、再び、最奥まで突き上げると、高耶は綺麗に背を反らせて切なく喘いだ。
「高耶さん……我慢できない」
狂おしげな囁きとともに、激しい抽送がはじまる。
男の肉が、体内を出入りする度、内臓まで引きずられ、追い落とされそうになるのを、高耶は必死で堪えた。
欲望のまま抜き差しする男に対し、貪られる高耶の若い楔は、いまだ男の指で無残に射精を封じられたままだ。
男の身で男を受け入れ、その身を自由に奪われる―――苦痛を伴うマゾヒスティックな快楽が、囚われた獣の脳を痺れさせ、悲鳴をあげ続ける唇から、銀の糸が滴った。
「……高、耶ッ……」
一際強く、打ちつけられた肉塊から、熱い体液が迸る。
男の肉塊が、体内に欲望を注ぎ込む間中、その熱を受けとめる高耶の体も、ビクン、ビクンと小刻みに震えていた。
「高耶さん……」
名残惜しげに己を引き抜いた男が、細い体を仰向け、綻んだ蕾を指で淫らにかきまわしながら、撓る楔を根元まで唇に含んで吸い上げる。
「ヒ―――!」
激しく痙攣しながら、いとしい体が吐き出す甘い蜜を、男は最後の一滴まで己の舌で、貪るように味わい尽くした。
ぐったりとした体を抱き起こすと、潤んだ眼が、ひたむきに男を見つめる。
どちらからともなく、合わせられた口づけは、高耶の蜜の味がした。
***
「―――ッ!」
まもなく夜が明けるという時、自室のベッドで飛び起きた男は、たまらず己の唇を押さえた。
(いまのはいったい……)
単なる夢で済ませるには、あまりにリアルすぎるほど、高耶を抱いた体の熱が、はっきりと体に残っている。
動揺に、宙を泳いだ男の眼は、テーブルの上の香炉に注がれた。
望む夢が見られるという。
―――まさか、いまのが、あの香炉の力だとでも言うのか。そんな馬鹿な。
だが、もし夢だと言うなら、この指に残る、あのひとの熱い襞の感触を、いったい何と説明すればいい?
汗でべっとりとはりついたシャツを脱ぎ捨て、冷水のシャワーを頭から被る。
ただの夢だ―――男は、必死に自分を納得させようとした。
己の穢れきった欲望が、束の間、こんな夢を見せたにすぎない。
それでも、かき抱いた高耶の、熱い肌の感触だけは、男を捕えてはなさない。
高耶の体は、まるで最高級の麻薬のようだった。
あの体を一度でも味わってしまったら、誰もが囚われ、虜になる。そしてもう、二度と、手放すことなどできなくなる。
(一度だけでは、あの香炉の力だという証明にはならない)
―――熱く痙攣する襞の感触が残る指を握りしめ、男は身仕度をはじめた。
***
その朝、男は、誰よりも早く登校し、無人の教室に足を踏み入れていた。
愚かなことをしていると、理性ではわかっていても、己を止めることができなかった。
高耶の机の引出しから、置き放しにされている数冊の教科書とノートを取り出して、ぱらぱらと捲ってみるが、やはり、目当てのものは、そう簡単には見つからない。
だが男は諦めず、根気よく、ノートを1ページづつ捲って、丁寧に確かめた。
―――あった。
細い黒髪が、ノートの隙間に挟まっている。
男はその髪を、大切にジャケットの胸に仕舞った。
その夜、男は再び、自分の髪と高耶の髪をきつく結んで、香炉で燃やした。
紅い小さなその焔を見つめ、愚か過ぎる己の行動を嘲笑いながら、男は思った。
さあ、どうなる―――?
***
広いベッドの中央に、あられもない肢体を晒して、高耶が横たわっている。
両手首を白い拘束帯で戒められ、ベッドに繋がれている彼の、きつい目元は涙に潤み、触れることを許されない若い楔は、腹につくほど勃ちあがって、止めど無く溢れる蜜に、切なく濡れそぼっていた。
「―――なお、え……」
腕を戒められていなければ、自ら男の胸に飛び込んでいるに違いない。
待ちわびた男の訪れに、切ない声が上がる。
「高耶さん……」
男は、焦らすように、ゆったりとベッドに乗り上げると、しっとりと濡れた内腿に徐に指を這わせた。
感じやすい体が、ビクンと震える。
だが、本当に触れてほしい箇所には、触れてやらない。
業を煮やして、高耶は縋るような眼で男を見た。
「なおっ……も、焦らすなっ……」
ひとを、狂わせる眼だ―――男はうっとりとその眼を見つめながら、ぽたぽたと、先走りの蜜を滴らせている先端を摘んで、濡れた鈴口を指先で辿ってやる。
「アアッ……なおっ……、」
このひとが、いとおしくて、どうにかなってしまいそうだ。
「このぼうやを、どうしてほしいか、言ってごらんなさい?」
熱い声で囁くと、口端から、銀の糸を滴らせ、はあはあと乱れた呼吸の元で、高耶が言った。
「……そこ……して、くれよ……っ、」
欲望を隠しもせず、行為をねだるいとしいひとに、男は揶揄るように言う。
「指がいい?それとも、口でしてほしい?ちゃんと言わないと、ずっとそのままですよ?」
「……お前、の……口、で……」
「いい子ですね……あなたの眼を見ながらしてあげる」
男は甘く囁いて、いとしいひとの下肢に顔を埋めた。
「クッ―――アア……ッ」
熱く見つめあいながらの、淫らな奉仕。高耶は髪を振り乱し、嫌々と身悶える。
いまにも、吐精しそうな鈴口をノックし、全体を淫らに吸い上げてやるうちに、高耶はかぼそい悲鳴を上げて、男の口腔にしろいものを放った。
「ヒ―――……、」
ビクン、ビクンと内腿が震え、吐き出される甘い蜜を飲み干して、男が顔を上げると、まだ呼吸の定まらない高耶が、濡れた眼で、戒められた腕を示し、ほどいてくれ、と訴える。
「高耶さん……」
頷いて、男が、その両腕を自由にしてやると、高耶は男の胸に自ら身を投げるようにして、細い体を摺り寄せてきた。
その体を受けとめた男が、折れるほど抱きしめる。
愛している。
あなたがいとおしすぎて狂ってしまいそうだ。
「なおえ……っ、くれよ。お前を、……オレのなかにくれ……」
「高耶さん……!」
***
「―――!」
再び、自室のベッドで飛び起きた男は、ナイトテーブルに置かれた香炉に眼をやった。
体に残る、あまりにリアルな高耶の熱―――やはり、あの香炉は、本物なのか。
その日の夜も、高耶の机を漁って、新たな髪を手に入れた男は、自分の髪と高耶の髪を結んで香炉で燃やした。
だが、その日は、なぜか夢を見なかった。
苦労して手に入れた髪が、高耶のものではなかったのだろうか。
それとも、二日続けて見たあの夢は、やはり、己の抑圧された願望が見せた、妄想のなれの果てに過ぎなかったのか。
だが、朝の通学路で、高耶が数人の友人と、昨日は譲の家で、徹夜でゲームをしてしまったと、寝不足らしい赤い眼で、笑いながら話しているのを耳にした時、男は密かに確信した。
昨日、あのひとは眠らなかった。
だから、自分の夢に現れることができなかったのだ。
望む夢が見られる。
あの香炉は―――本物だ。