ダブル・フェイク 4
BY k−330さま
『人ならぬ者ども』を粛清するために創られた組織と、それに従事するもの(使徒)の全てを総して【麒麟】と呼ぶ。
母体は、数百年の古い歴史を持つ【麒麟神教】。竜王会ほか、各地に点在する教団組織は皆、【麒麟】という組織の一部である。…と同時に、各自の戒律と宗主をもった、独立した組織でもある。
これらの組織に、社会的権限・地位〜はない。しかし実質的には、組織内に社会的地位を持つものを多く抱えている為、いわば『未公認の公認』的権限を持っている。人ならぬ者の中には、高い知能と人間に極めて近い外見を持ったものがいる。彼らは、人間社会に巧みに入り込み馴染んでおり、人間としての名前・地位、場合によっては戸籍までも手に入れている者さえいると言われている。
彼らを、『人ならぬ者』として判断認識することは、麒麟の能力者であっても困難である。中でも『吸血鬼』と呼ばれる種族の力は強大で、各教団のトップクラスの能力者であっても粛清は難しいとされる。しかも、彼らの体液は、延命と不老不死の妙薬として珍重される為、むしろ密かに貴賓として丁重な扱いをうけているといわれる。
この、既に滅びる運命にある種族『吸血鬼』を繋ぎとめる為に、自ら『贄』を差し出す組織も往々にしてあるという。
*
所々に配された淡い照明に飾られた広い中庭に、高耶は降り立った。
(どこだ、あの男)
全神経を集中させ、男の…魔ノ者の気配を探る。
(あの男…、笑っていやがった)
嘲笑する男の表情が、目に焼き付いて離れない。
自分は何故か、あの表情をよく知っているような気がする――
知っている筈なのに、思い出せない。それが一層、高耶を苛立たせていた。
それに――
(何で…何だってオレは、こんなに必死になってるんだ?)
たかが色情鬼一匹。女を惑わしその気を喰らうだけで、大して実害があるわけでもない、低級の魔物。…そのはずなのに。何故、こうも気にかかるのか。
(なんなんだ、このもやもやは……)
身に付けた衣装が重い。いつもより身軽に走れないことに苛立ちながら、高耶は走った。
花咲き乱れる中庭を駆け抜ける。
明るくライトアップされた噴水の近くに、男の後ろ姿を見つけた。
「そこの男、止まれ!」
息を弾ませながらも鋭く、叫んだ。
しかし男は止まりも振り返りもせず、そのまま歩き去ろうとする。
(あのやろう…)
声は、聞こえているはずである。男はわざと無視しているのだ。
しかし、歩くスピードは逃げる為のものではない。むしろ追いつくのを待っているようにも見える。気のせい、だろうか。
「待てっ、…直江!」
高耶は思わず、以前に男が名乗った名前を呼んだ。
と、男はあっさりと振り返った。
「…うれしいですね、あなたがそんなふうに息せき切って私を追いかけて来てくれるだなんて。抱きしめて、キスの一つでもしてさしあげたいくらいですよ」
高耶は、女を口説くような甘言には耳を貸さず、男を睨めつけた。
「長谷川夫人を唆したのはおまえか」
噴水の吹き上がる水音にも掻き消されることのないよく通る声が、切るような鋭さで詰問する。
直江は、優しげな笑みを浮かべ、
「唆すなんてとんでもない。私は誰かに頼んであなたによけいな傷を負わせるようなマネはしませんよ。するのなら、私は私自身で手を下しますよ」
微笑みながら、高耶の元にゆっくりと近づいてゆく。
「あの女はね、あなたに嫉妬したんですよ。自分があなたほど若くも美しくもないと気づいて、逆上したんです。ヒステリーを起した女ほど醜いものはない。あなたもそう思いませんか、高耶さん」
高耶は、近づいてくる男から一歩、躰を逃がした。
「戯言はいい。オレが知りたいのは、あの夫人がおまえの“虜”だったかどうかだ」
不自然に白く年齢にそぐわない艶やかな肌――。そして何より、異常なゆらめきを見せていた生体オーラ。高耶を襲った夫人は、確かに何かに憑かれていた。
魔物は、例えるなら麻薬。それがどんなに恐ろしいものかとわかっていても、人はその手に堕ちる。一時の快楽と一時のかりそめの力に酔い溺れて身を滅ぼす。
「確かに、あの女は私の“虜”でしたよ。でもそれは既に過去のことです。なにしろ私は、明日には、新しい獲物を手に入れるんですから」
不意に、直江は動いた。
一瞬のうちに二人の間の距離を狭め、高耶の銀鎖で装飾された右の手首を掴んだ。
避ける間もなかった。
「な…に…っ」
右腕を掴まれ、腰を密着させるように抱き込まれる。まるで縛されたように動くことができない。
「新しい獲物というのは、あなたのことですよ…高耶さん」
「…っふ、ざけんなっ、てめえっ!」
暴れる高耶を底冷えのする視線で見下ろし、
「封印を…解かせていただきますよ」
直江は突然、高耶の額に掌を強く押し当てた。
「ッ――あッ!」
掌から放たれた青白い光の様なものに目の網膜を焼かれた。
額にあった螺鈿が細かく割れて飛び散った。
血が流れて頬を伝い落ち。そして躰は、感電したかように痺れて力を失っていく。
「てめ…っ、何…した…っ」
「何も。…ただあなたの額に掛けられていた封印を解いただけですよ。私の印を人間の眼から隠すために掛けた封印をね」
(…? 封印?)
そんなものが自分に掛けられていたなんて、知らない。
「まだ、思い出せないんですか?」
直江は目を細め、高耶の顔を間近で覗き込む。
「思い出せないというのなら、教えて上げますよ、高耶さん」
不意に、躰が軽くなる。
そして男の胸の中に抱き込まれた高耶の躰は、その両腕に支えられて空中に浚われた。
「なにしやがる! おろ…せっ、この…っ、」
どんどん離れていく地面を足を見下ろして、高耶は暴れた。
「暴れないで、高耶さん。この高さから堕ちれば、骨折だけじゃ済みませんよ」
男の言葉に高耶は思わず動きを止めた。
高いところはあまり得意ではない。それを知っていて、業とこんなことをするのか。
微かに顔を強ばらせ、自分を支える男を見上げた。
それを、男は勝ち誇った微笑みで見返す。
「このままあなたを浚ってしまうのは、本当はとても簡単なことなんですよ。けれど私は、十年前の契約に縛られているので今は手出しが出来ないのです。今はね」
『十年後、迎えに来ます』そう言ってあの日、男は高耶を開放した。約束は、すなわち契約。
契約は誓約であり、守られてしかるべきもの。それは決して一方的に解除できるものではない。人間同士の繋がりなどより、よほど強固に誠実に守られるものなのだ。
「あなたは覚えていないようですが…あなたは十年前、私の贄になったんですよ」
「なにを…言ってやがる! オレは、契約なんかしてねえ! そんな恥知らずな真似…っ」
「おや、信じないんですか? でも現にあなたは私を拒めない。私を本気で拒否することが出来ないでいるじゃないですか」
「なに…言ってやがるっ」
「本気で私を拒否したければ、あなたの持つ特殊な力で拒否したらいい。“炎希竜”と二つ名で呼ばれるあなたの力で私を退けてみたらいかがですか?」
言われて、高耶は愕然とした。
(思い…つかなかった)
力を行使して男を退けるということ。そのことを、自分にそういう力があるのだということを知らなかったとでもいうように、まったく、思いつかなかった。
自分の不覚を自覚して、頭に血を昇らせた。
躰が、瞬時に高揚する。掌が、熱く過熱される。
「…ッ」
しかし。何も起こらなかった。
(そんな、馬鹿な…、)
力が、使えない。否、使うことを、躰が拒否しているようなのだ。
高耶は、信じられない思いで自分の右腕を凝視した。
「あなたは既に、私に幻惑されているんですよ」
直江は勝ち誇って笑った。そして当然の権利だと言わんばかりに、高耶の躰を弄った。
神聖な、竜の描かれた厚い生地の中に両手を潜り込ませ、卑猥に指を蠢かす。
「や…っめろ…っ、はな…せっ!」
「離して…いいんですか? こんなところで手を離したらあなたが怪我をしますよ?」
突然、高耶の身に躰の重さが帰ってきた。直江が、高耶を支えていた力を消したのだ。
瞬間、足の底が抜ける感覚が高耶を襲った。
「ひっ…、」
高耶は反射的に直江の躰に縋った。それでも、堕ちる躰は止まらない。
「な、直江…!」
恐怖に顔を歪めて、男に縋った。
「だから、言ったでしょう? 手を離すと危ないって」
男はくくっと喉で笑い、高耶の躰を自分の目の高さまで引き上げた。
「き…さま…っ」
良いように弄ばれている。こんな酷いことをされてもほとんど抵抗できない。
屈辱に高耶の顔が歪んだ。
「思った通り、いい表情をしますね。そそられる」
高耶の両腕を後ろ手に拘束し、まるで殻を割り開くように強引に高耶の着衣の前を引き裂いた。そして、露になったその胸に顔を埋めた。
「…ッ、」
唇が胸元をきつく吸い上げ、舌が首筋へと這う。
鋭く固い何かが、首筋に立てられた。
(…牙!?)
咬まれる――思った瞬間、唇が離された。
「残念ながらここは、明日までのお預けです。不本意ながら今日は、この唇だけで我慢しておきますよ」
強引に、唇が塞がれた。
色情鬼は、直接肌を触れ合わせた場所から人間の精気を吸い取る。より濃厚な精気を取り込むために相手の官能を高めるのだ。
色情鬼ごときに、竜の気をやるわけにはいかない。高耶は必死にもがいた。
しかし、男の左腕は頭の後ろをきつく固定し、避けようと身じろぐ事すら許さない。右手は腰から下腹部へと回されて直接素肌を撫で、そして性器に向かって伸びていった。
「っ…んんッ!」
むりやり開かされた両足の狭間で指が蠢く。屈辱で目の前が赤く染まった。
「口ではいくら拒否しても、あなたの躰は俺を受け入れていますよ、高耶さん」
唇は開放されたが、下腹部に潜り込んだ卑猥な指からは開放してもらえない。
「ぁぁ…っく…っひ、」
男の慣れた手管に反応してしまう若い躰。どうしようもなく迫り上がってくるものを押さえ込もうと身悶える。
聖職者である自分が、敵である魔ノ者に身体を自由にされるなど、プライドが許さない。
(だのに、ナゼ…っ――!)
嫌がって顔を背ける高耶の耳に、男は舌を這わせる。湿った音を立てて、小さな孔を愛撫する。
「漸く…あなたに触れることが出来た。私がどんなにこの日を待ちわびていたか…それを知らないだなんて、ひどい人ですねえ…」
微かに震える耳朶に噛み付きながら、男は囁く。そして愛撫を深いものにしていく。
下着に入り込んだ指に直接触れられて、高耶の身体はビクリと強張った。
「い、イヤ…だ! やめろっ!」
身を竦ませて、高耶は叫ぶ。
「はなせ――っ! ぁ、ああっ!」
きつく掌で握りこまれて、上ずった声が漏れる。嫌悪する感情とは裏腹に、幹に絡まる男の手馴れた指技にソレは素直に感じて固く張り詰めていった。
「うれしそうに反り返ってピクピク震えていますよ、あなたの坊やは」
男は、自分の手管に翻弄される高耶の顔を覗き込み、笑いを含んだ声で更に羞恥を煽る。
そして、最も感じやすい先端を魔物の尖った爪でカリッと掻かれて、高耶は『ヒッ』と悲鳴を上げた。
もがく身体を強く抱きこまれたまま、何度もそれを繰り返されて。高耶はたまらず、男の胸に頭を擦り付けた。
その口から漏れるのは、熱い吐息。上気して赤く染まった耳元に舌を這わしながら、直江はもう一方の腕を高耶の背後に回した。
目的をもった指が、敏感な尾骨の奥を探った。男を受け入れる孔の周囲を、緩慢な動きで愛撫する。
「イヤ…ヤ…だっ! やめ……ッ」
拒絶の言葉を漏らすも、その声は力ない。前後を同時に嬲られ、官能を高められるほどに大量の気を放出してしまう身体からは否応なく力が抜けてしまっていた。抗う動きも、徐々に緩慢なものになってきていた。
「こんなに従順になって…。かわいいですね」
ほとんど無抵抗になった腕の中の獲物。拒むことの出来ないその身体に、直江は更にひどい仕打ちを加えた。
「アッ、アア―――ッ! いや、い痛ッ…!」
尾骨の奥を探っていた指が、いきなり中を穿った。突然の無慈悲な行為に、高耶の身体は引き攣り硬直した。
高耶の悲鳴を耳に心地よく聞きながら。冷徹な男は、怯えて震えるその奥に長い指を根元まで一気に突き入れた。
途端に高耶は竦みあがって、泣き声を上げた。
「ひ――ぁっ! ヤメ…やめろ…っ、痛…い、ああぁ――っ」
何度も突き上げを食らって、悲痛な声が喉を突いて出る。挿入の指が二本に増やされたときには、その声には哀願の色が微かに滲んでいた。
「や…っ、嫌――っ! も、やめ…ッ、」
自分の意志ではどうにもならない痛み。そして、認めたくはない…身体の奥から確かに湧き上がってくる快感。それに怯えて、高耶は無意識のまま男の腕に縋っていた。
「も…、おねが…ィ、…やめ…てっ、」
ハアハアと、目を潤ませて高耶は喘ぐ。
目の前に晒された、うっすらと汗の浮いた首筋。男は肉食獣の目でそれを見下ろして、味を確かめるかのように、そこに唇と舌を這わせた。
「ぁ…ッ、」
ビクッ−と躰が硬直した。無意識が感じ取ったのだろうか。そこは、牙が突き立てられるだろう場所。
「あなたの身体からは、とても甘い蜜の匂いがしますよ…」
獲物の怯えをそこから感じ取って。ククッと、男は笑う。
自分の腕の中で翻弄され震える細身の躰。躰の芯から迫り上がってくる欲望と征服欲。
屈辱と快感に高まり溢れ出る赤みを帯びた金のオーラを直接浴びながら、直江はうっすらと微笑む。
「十年前に交わした契約通り、明日あなたを迎えに行きます。あなたは私の血と精液を躰の奥に注がれて、私の奴隷(虜)になるんですよ」
色素の薄い瞳が、徐々に焦点の合わなくなってきた高耶の瞳の奥深くを覗き込む。
「あなたのこの瑞々しい躰を覆っている銀の鱗を引き剥いで、欲望の赴くままに蹂躙して、俺なしではいられないくらい淫乱な躰に造り変えてあげる」
淫らに躰を密着させ耳元で囁かれる許されざる冒涜の言葉。
「…な、んで…、」
霞んでくる目で男を見上げ、なぜ、自分なのか――と。掠れた声で、高耶は問う。
男が、口を開きかけた時――、「仰木――!!」
異変に気づいた潮が駆けつけた。
空中で見知らぬ男に抱きかかえられた高耶を目の当りにして、いきなり――切れた。
「仰木に何しやがる、てめえぇ−!」
叫びざま、鎌貂のように対象物を切り刻む事の出来る鋭い水の刃を、男の顔目掛けて浴びせかけた。
直江はそれを、涼しい顔でかわした。そしてふわりと、空中から地上に降り立った。
「高耶さん、私の言ったことを忘れないで。…逃げても無駄ですよ。あなたはもう既に、私のものなんですから」
「待てっ、この…っ!」
潮が叫んだ。
しかし。男の姿は闇の中に溶け込むようにして消えてしまった。
舌打ちして、横たえられた高耶の元に駆ける。
「仰木…!」
地面に跪き、脱力した躰を抱え上げた。
「おまえっ…どうした、何があったんだよっ!」
しかし、既に意識が朦朧としていた高耶は、答えることが出来なかった。
「…うし…お、」
小さく呟いて、不意に意識を失った。
「仰木…! おい、しっかりしろ!」
慌てて、躰を揺さぶる。
「武藤さん…!」
「仰木隊長――!」
遅れて駆けつけた隊員数名が、二人を見つけて騒ぎ出す。
「ど、どうしたんですか!」「――隊長!? 意識、ないんですか!」
「いったいどうしたん…」
「うるっせえ! 騒ぐんじゃねえ! 俺にもわかんねーんだよ!」
潮は、尖った声で一喝した。
「武藤さん、これを」
顎に髭をたくわえた、彼らの中では一番の年配の隊員がハンカチを差し出した。
潮は軽く礼を言ってそれを受け取り。高耶の、赤い血で汚れた額を拭った。
「……?」
血を拭って、潮は首を傾げた。
血は確かに額から流れているのに、原因となる傷が見当たらないのだ。
傷の変わりに、額の中心に痣のようなものが見える。
(何だ?)
よく確かめようと。抱きかかえた躰の向きを変え、外灯の光の中に顔を向けさせた。
額に張り付いた前髪を掻き上げた。
「…! これ…って、オイ…!」
「え…、」
隊員たちは、潮の喉に何かが詰まったような声にただならぬものを感じ取って、高耶の額に一斉に目を向けた。
「これ…は…っ」
誰かが、呻く。
滑らかな額に浮かび上がった−まるで透かし彫りのような−渦巻く文様。
「早贄の…文様…っ」
「っな…ん、」
彼らは一様に硬直した。