ダブル・フェイク 5


BY k−330さま



 深夜。
 数台のジープが派手なエンジン音を立てて二重のゲートを潜った。
「兵頭!」
 ジープの助手席から飛び降りた兵頭の元に、堂森たちが駆け寄ってきた。
 深夜勤務だった兵頭の帰りを皆、今か今かと待ち構えていたのだ。
 ――いったい、何が起こったのか。
 市内をパトロール中だった兵頭に緊急の電話が入ったのは、今から一時間ほど前のことだった。
 それより以前に『仰木隊長が襲われた』という連絡は支部を通して伝えられていた。既に周辺警備にあたっていた隊員数人が現場に入っており、仰木隊長の無事を確認していた。事件の政治的重要性は別として…魔物自身が起した事件ではない上に、襲われた当の仰木自身にも怪我はないということなら自分たちが騒ぎ立てることは何もあるまいと、誰もが同じ結論を出していた。
 ところが。それから一時間ほど経った後、既に支部に戻って来たらしい“武藤潮”から名指しで緊急の連絡が入った。
『隊長が、魔ノ者に襲われ負傷した』と。
 しかし潮は、詳しいことには一切触れず。早々にパトロールを切り上げて支部に戻るようにとだけ伝えて、一方的に無線を切られたのだ。



「何か…聞いてるのか、堂森」
 宿舎に向かう堂森の背を追いながら、兵頭は聞いた。
「詳しいことは、俺にもわからん」
 自分より背の高い兵頭の顔を斜め後ろに見て、
「武藤のやつ、現場にいた隊員全員に箝口令敷いたらしい。誰も口を割ろうとせん」
 堂森は、忌ま忌ましげに口を歪める。
「武藤は今、隊長の部屋に篭もっている。医師の診察も拒否しやがって…いったい何考えてるんだよ、あの男は!」
 確かに隊長の−仰木高耶の身に何かがあったのだ。しかし、その何かが分からない。
 真夜中だというのに、宿舎の前には人だかりが出来ていた。見れば、私服の者に交じって紫紺の制服のものまでいる。
「兵頭さん…」
「副隊長、」
 問いかけの視線を向ける彼らを、兵頭は睨めつけた。
「こんなところで何をしている。さっさと自分の持ち場に戻れ。…おまえたちもだ、自分の部屋に戻れ。こんなところに屯してどうする?」
 その兵頭の言い分に堂森が口を挟んだ。
「こいつらに、隊長の身を心配するなって言うほうが無理だって」
 苦笑いして、兵頭の肩を叩いた。皆に向かっては、
「話が終わったら、おまえらにもしっかり報告してやるよ。だから、呼ぶまでおとなしく待ってろ」
 確約を貰い。彼らは互いに顔を見合わせた後、自分のいるべき場所に散り散りに散っていった。
 堂森は、兵頭の顔を見上げ。
「おまえは、言うことが固すぎるんだ。もっとこう…柔らかく言えんもんか? お役所勤めの頭に黴の生えたじいさんじゃあるまいし…。それじゃあ、女にも嫌われるぞ」
「…おまえたちは、物事を甘く見過ぎている。ここをどこだと思っているんだ。何かある度に一々動揺していてどうする」
「まあ、そうきつく言うな」
 冗談の通じない男に堂森は溜め息を吐いた。



 兵頭と堂森は、共に神妙な顔つきで仰木高耶の私室のドアの前に立った。
 ドアをノックし、名前を告げる。と、中から武藤潮が姿を見せた。二人を中に導くかと思いきや。潮はそのまま外に出て、扉を後ろ手に閉めた。
 どうしたことかと、目を細める兵頭。堂森は、あからさまに不満顔で潮を睨む。
 潮は、そんな二人を交互に見やり、
「部屋に入る前に、確かめておきたいことがある」
 らしからぬ、固い声。
「おまえたちにとって“仰木高耶”とは、何だ?」
 守るべき存在か否か。潮は、真剣な面持ちで返答を求めた。
 あれから高耶はまだ一度も目覚めていなかった。だから潮も何が高耶の身に起こったのか詳しくは知らない。知りたいと思っているのにそれを恐いと…聞いてしまうのが恐いと感じている自分にジレンマを感じていた。
 潮の表情に複雑なものを感じ取った兵頭は、なぜそんなことを今更聞くのか−と、反対に問うた。
「……おまえたちが、最後まで仰木の味方でいられるのかを知りたい。何が起こって
も、仰木を信じていられるか…どうかを」
「隊長の身に、何があった?」
 兵頭は、更に問う。
「隊長の身に何かがあっておまえはここに戻ってきた。俺たちに知られては不味いというのなら、“竜王”の手の者に手引きさせて逃れるということも出来たはずだ。それをしなかったということは、おまえはここが隊長にとって一番安全な…安心できる場所だと判断したからではないのか? ならば、先に我々に何があったのかを話して聞かせるべきではないのか?」
 出来るなら、自分一人の力で高耶を守りぬきたい…そんな独占欲も潮の中にはあった。だから事実を隠せるものなら隠し通そうと思った。
 それを兵頭の冷静な目で見透かされたようで。潮は目の前の男を憎らしく思った。
「ヒントも無しじゃあ、俺らも答えようがないぞ」
 兵頭の言葉に、堂森も同意する。
 潮は、二人の顔を交互に見やった。そして、諦めたように溜め息を吐き、背を向けた。
「仰木の身に何が起こったのか、俺にも詳しいことはわからない。だから――」
 潮は、ドアノブに手を掛けた。
「その目で直接見て、判断してくれ」


 部屋に入った潮は、続いて入ってきた二人にドアの鍵を掛けるように言い置いて、ベットに向かった。
「仰木…、」
 上掛けから剥き出しになった高耶の肩にそっと手を触れ、呼びかける。何度か繰り返されて。微かなため息のような声を上げて、高耶の目が開いた。
 緩慢な動作で、高耶が顔をこちらに向けた。
 露になった額には、呪術を施された…支配の印。
「!…ッ」
 それを目の当りにして、兵頭と堂森が息を呑んだ。二人は、信じられない思いで高耶を凝視する。

“贄(にえ)”も“虜(とりこ)”も同じ、魔物の奴隷。ある種の能力を手に入れる代償に、あるいは命そのものと引き換えに−魔を相手に身を魂を売る者。最も卑しいもの。恥ずべき存在、侮蔑の対象。
 ましてや、魔を封じるべき者がそんなものに落ちたとなれば、存在そのものを抹消されてしまう。人として、使徒として、抹殺されてしまうだろう。


 重苦しい沈黙の中、高耶が微かに身じろいだ。何度か瞬きして、漸く目の焦点が合う。
「うしお…? ここは…オレの部屋…か」
「ああ。おまえが気を失ってる間に戻ってきたんだ。気分はどうだ? 大丈夫か?」
 頭に掛かった靄を振り払うように頭を幾度か振り。高耶はなんとか肘に力を入れて上半身を起そうとする。それを潮が片手で支えた。
「あの男は…色情鬼は、どうした?」
 高耶が問う。
「色情鬼?」
 思わず、といった態で兵頭が反復した。
「まさか、例の奴か?」
 兵頭と堂森は顔を見交わした。潮には、何のことかわからない。
「おまえを襲ったやつのことなら、逃がしちまった。すまん、間に合わなかった」
 高耶は、そうか−と呟き。痛むのか、額に手をやった。
 そして、潮の背後にいる兵頭と堂森に目を向け、少し笑った。
 兵頭は、今夜は深夜勤務だったはず。通常なら、ここにいるはずが無い。そして堂森は、早朝勤務に備えて眠っているはずの時間だった。
「心配させたようだな。すまない」
 信頼したものだけに見せる表情を目の当りにして、潮はおもしろくなさそうに眉を寄せた。
「それより、あそこでいったい何があったんだ? 教えてくれ」
 真顔で詰め寄る潮に、高耶は頷いた。
「あの時…それまでに二度遭遇したことのある色情鬼の姿を見つけて、そいつの後を追ったんだ」
 そして追いついて、問いつめた。
「オレを襲った長谷川夫人は、その色情鬼の“虜”だった。そいつが…本人がそう言った」
「そいつはまた、最悪じゃねーか」
 四国国主と密接な関係のある山林王の妻が色情鬼の虜となって、いきなり人を襲った。しかも、襲った相手はただの人ではない。友好の証として“竜王”から“麒麟”に派遣された指南役であり、しかも四国最強の特殊部隊の部隊長−という人物。不祥事窮まりない。
「潰されるな、こりゃ」
 潮は、自分には関係ないとばかりに冷めた口調で言い捨てた。
 知りたいのは、そんなことじゃない。潮たちが知りたいのは――、
「……明日、迎えに来るそうだ」
 徐に、高耶が言った。
「――? 迎えって…誰が、誰を」
 言葉の真意が掴めず、潮は戸惑った声で問うた。
「あの色情鬼が、オレを。…オレを、自分のものにすると言った」
 高耶を見つめる三人が三人とも息をつめた。
「どーいうことなんだよっ、それっ!」
 瞬間的に頭に血を昇らせた、潮が詰め寄った。
「オレの額には、封印された贄の印があると…そう言った」
 高耶を見下ろす三人の顔色が、瞬時に青ざめた。
 兵頭が無言のままドア近くの壁に掛けてあった鏡を取り外し、高耶に差し出した。
 高耶は鏡の中の自分を見た。陽に焼けた秀でた額の中心には、屈辱の印――
『十年前、あなたは私の贄となったのです』
 あの男の声が頭の中で響いた。
 契約は、本人の同意無くば“贄”も“虜”もない。しかし“早贄”の場合は、主に対象者がはっきりとした意志の主張の出来ない幼児であったり、生まれたばかりの赤子であったりするため、意味も分からないまま、契約を結ばれる場合がある。
「仰木…?」
 黙り込んだ高耶に、潮は躊躇いがちに声を掛ける。
「…実感が、ねえな」
 高耶は、全身を虚脱させて呟いた。
 事実を確認して。怒りよりも驚愕よりもまず、虚脱感に襲われた。
(いったい何だって…いつのまに、こんなことになったんだ…?)
 奇妙に冷めている自分を自覚して、笑いのようなものまで込み上げてくる。
 あの男の前で、行き場無い屈辱に躰中を滾らせていたことが嘘のようだ。
 兵頭は、その高耶を見つめて、
「仰木隊長、あなたを襲った色情鬼というのは、以前我々が飛行場で目撃したものと同一ですか?」
「そう…だ。数日前も市の外れで遭遇した――」
「これは、確認の為にあなたに聞きますが。あなたには、その色情鬼と契約を結んだ記憶は一切ないのですね?」
「ああ。まったく、ない」
「んなことっ、当然だろうが!」
 潮は憮然として怒鳴った。
「仰木の額にあるのは、早贄の文様だぞ! いつ付けられたかなんて、分かるわきゃねーだろっ!」
 潮は床に膝をつき、高耶の腕を握った。
「相手が何者だろうと、そんな契約、俺が無効にしてやる。おまえを襲ったその色情鬼を始末してしまえばいいんだろう。簡単なことだ」
 そうだろう−と、きつい目で兵頭たちを振り返った。
 無論、彼らに異存はない。兵頭も堂森も共に無言で頷く。
 自らの事実上の長(トップ)が、狩る対象である魔ノ者に支配され陵辱されることなど彼らは望まない。いずれはここから去っていく彼ではあっても、今高耶が彼らにとって特別な存在であることにまったく変わりはないのだ。
 兵頭は、高耶に向かって、
「その色情鬼が本当にここまでのこのことやって来るのかどうかは今一つ疑問ですが…ともかく、あなたを一番安全な場所に匿うのが先決でしょう」
 贄の契約が本当なら、高耶はその色情鬼に逆らえない。逆らう術は無く、意識も行動も色情鬼の支配をあっさり受け入れてしまう。
「つまり。結界の中から出たら、それで終わり…ってことだな」と、堂森。
「…一番の足手まといは、オレ自身というわけだ」
 高耶は吐き捨て、鼻で笑う。
「あなたの言う“明日”は、既に“今日”のことになっています。もう一刻の猶予もない」
「看護病棟の集中治療室の結界が一番堅固だ。そっちに移るのが得策だろう」
 話は決まった。
「…自分で、動けるか?」
 ベットに屈み込み、潮が聞いた。
「大丈夫…だ」
 高耶は、潮が差し出した右手を断わり、ゆっくり立ち上がった。その目はまっすぐに前を見据え、見えない何かに挑むように強い光を帯びていた。



 高耶の足取りが思いのほかしっかりしていることを確認して、兵頭と堂森の二人は部屋を出た。
 高耶の自身のことは潮に任せるとして。問題は、隊員たちにどう説明し、この危機的状況をどう切り抜けるか…ということだった。
 隊員たちの待つ本館のミーティングルームに行く前に、兵頭の自室で二人は簡潔に話し合った。
「額の印のことは、知らせないほうがいいだろう。既に知ってしまった人間は仕方ないとしても」
「現場に駆けつけたのは、警邏隊の第四班か。…その中に、隊長に反抗的な者は?」
「心配無い。全員、仰木隊長に忠実なヤツばっかりだ」
 向かい合わせに座った堂森の返事に、兵頭は小さく息をつく。
 数十人いる隊員の全てが仰木高耶に心酔しているわけではない。高耶がこの支部に派遣された当初から反発心を持ち続け、他の者とは一線を引いて接している者も小数とはいえいないわけではなかった。(その心情が、実は心酔や憧憬の裏返しである可能性は大であったが)
「では。彼らには、敷地内の要所要所の警備にそれぞれ着くよう指示しよう。真実を知らされてない者だけでは、どうあっても油断が生じる」
 お互いの役割分担を確認しあって、二人はミーティングルームへと向かった。
 足早に狭い階段を下り、表に出る。月は雲に隠され、周囲は静かな闇に包まれている。
 先に立った堂森は後ろの兵頭を振り返り、
「その色情鬼とやら、万全の体勢で迎えてやろう。隊長を贄に選んだことを…そのものを後悔させてやるぞ」
 色情鬼を仕留めることに何ら不安もない堂森に、兵頭は短く答えた。
「…油断するなよ、堂森」



 真夜中。緊急招集された隊員たちは青ざめ、驚愕し怒号を上げた。が、副隊長らの極めて理性的な声と冷静に指示を下す様子に辛うじて平静を取り戻した。
 ――たかが色情鬼。
 そんな風に事を軽く見た油断もあったかも知れない。
 しかし。件の色情鬼が、実際はそれ以上の、かなり高位の妖魔であるかもしれないという可能性については、誰一人として疑うものはいなかった。

 それが、致命的な間違いであったと気付いた時には…既に遅く。彼らは、絶対に失ってはならないものを、永遠に失うこととなるのだ。


 そして。
 運命の朝がくる。

END




*椎名コメント*
K−330さまからの素晴しい頂き物です♪
今回は3〜5話までをまとめてUP!

いや〜。もう、この直江のカッコよさ・・・目眩がします。
そして逆らえない高耶さん。可愛い・・・(死)

読んでいてゾクゾクしました。
これからとうとう本領発揮なのですね・・・ふふふふふ(危)

K−330さま、いつも素敵な作品をありがとう!次回もよろしくお願いします♪


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