妖僕ミラバージョン 2






翌朝―――
「起きろ」
その一言で、直江がハッと飛び起きると、目の前に高耶の端正な顔があった。
彼がいるということは、やはり、昨夜の出来事は夢ではなかったのだ。

「あっ……あの……おはようございます……」
はじめて日の光の下で見る彼は、やはり、息を飲むほど美しかった。その、綺麗な顔とそぐわぬ、ぶっきらぼうな口調で、高耶が咎める。

「お前はいったい、どんな食生活をしている。冷蔵庫、酒しか入ってなかったぞ」
すみません、と男は弁解するように、
「あまり、料理は得意ではないものですから……」
それでも、かろうじて買い置きしてあったパンと卵とベーコンで、高耶が朝食を用意してくれていたことに、男は驚いた。

ダイニングテーブルに、綺麗に並べられた焼きたてのトーストと、コーヒーが、なんとも食欲をそそる、いいにおいをたてている。

「あっ、あの……これは、あなたが?」
高耶は呆れて、
「この部屋に、他に誰がいるんだよ。いいから、冷めないうちに早く食え」
「あっ、あの……ありがとうございます」

男が腰を下ろすと、高耶はその向かいに坐って、なみなみと注いだコーヒーカップを男の目の前に差し出した。
そうして、自らも一口、コーヒーをすすり、それが苦かったのか、端正な顔を子供のように顰めて、ミルクを継ぎ足す高耶を前に、いまだに、夢を見ているのではないかと、男は思わずにはいられなかった。


高耶がトーストをパクつきながら、細い指でテレビのリモコンを取り上げ、スイッチを入れる。すると、たちまち、男性レポーターの、緊迫した声が耳に飛び込んで来た。

『―――現場は、都心の一等地にある閑静な住宅地です。この通り、大量の出血の後と、乗用車と思われるライトの破片が散乱する中、被害者の姿は消えていました』

直江は、口に含んだ熱いコーヒーをむせそうになった。
テレビの画面は、紛れもなく、昨夜の事故現場の惨状を映し出している。

『……これらの状況から、警察は、何者かに轢き逃げされた被害者が、犯人の車に載せられ、連れ去られたとみて、犯人逮捕と、加害車輌の確保、一刻も早い被害者の保護に全力をあげています』

「……大騒ぎだな」
他人事のように、それでいて、少し悪戯そうに高耶がクックッと笑った。
その、子悪魔のような鮮やかな笑を前に、男は、返す言葉がない。
食事を終えた後、男の問に応えるように、ようやく語りはじめた高耶の話は、想像を絶するものだった。


***


いまから四百年前―――戦国時代の越後の国で、ひとの気を食らう魔だった高耶を、時の主が捕縛した。
捕縛された霊は、通常、調伏され、無に返されるのが常だが、なぜか主は、彼を調伏しなかった。

それどころか、人間そっくりの人型を創ってその魂を封じ、「高耶」と名づけ、己を義父と呼ばせ、我が子同然の待遇で、側に留め置くことにしたのである。

無理矢理、ひとの器に入れられ、ひととして生かされる屈辱に、当初、何かと逆らってみせた高耶だったが、陰謀渦巻く戦国の世で、何より義を重んじた主の元、読み書きを教わり、人とは何かを学ぶうちに、高耶にも、少しづつ変化が見えてきた。

主は、己の目が届かぬ時は、高耶が悪さできぬよう、銅製の鏡に封じ込めた。
その日も、高耶は、鏡の中から、出かけていく主の背を見送った。だが、それきり、主は二度と帰ってはこなかったのだ。


主亡き後、やがて訪れた落城の日。
高耶が封じられた銅鏡は、崩れ行く城とともに、地中深く埋まった。彼は、鏡のなかから、ただ、見ているだけしかできなかった。

そうして、月日は流れ―――昨年秋、大規模な震災で、封じられていた鏡が割れると同時に、彼は実に、四百年ぶりに、自由の身となった。
だが、主亡き後も、高耶は、ひとの体から出ることは叶わなかったのだ。

ひとの手でかけられた呪を破れるのは、人間だけ―――途方にくれる高耶を拾ったのは、震災の日、偶然、仕事でその地を訪れていた千秋修平という男だった。

千秋という男は、どうやら陰陽師のような能力を持っているらしく、高耶を見るなり、彼が普通の人間ではないと、一目で見抜いたらしい。

「行くところがないなら、店番ぐらいはさせてやる」
わけのわからぬことを言われ、強引に車に乗せられた高耶は、恐ろしく荒っぽい運転で、東京に連れて来られた。

以来、高耶は、その、千秋という男がやっている骨董屋で、店番の真似事をしつつ、居候生活をしているらしい。



にわかには信じがたいこれらの話を、高耶はこともなげに語ったのだが、男の方は、何より、四百年も間、彼が鏡の中で一人だったと言うくだりに、強い衝撃を受けていた。

「……さみしくは、なかったのですか」
「ばかを言うな」
高耶の答えは素っ気ない。
だが、それが事実だとすれば、いったい、どれだけの間、どれだけの孤独に、このひとは耐えてきたのだろう―――そう思うと、男は胸を痛めずにはいられなかった。

そして、高耶と主との関係も気になるものの、何より、高耶がひとではないと見抜いたと言う、千秋と言う男のことも気になった。

下僕となったばかりの男の胸に、この時、すでに、ささやかな嫉妬の炎が灯ったことなど、露ほども知らず、高耶は現在、彼が居候しているという、千秋の骨董店に連れて行くと言い出した。

「……ここからなら、歩いてもそう遠くはないが……お前、車は持っているか?」
高耶の問に、男は頷いた。
「―――案内して下さいますか」




千秋の店に向かう為、高耶を愛車の助手席に載せ、マンションの地下駐車場を抜けるや否や、直江のウインダムは大規模な検問に引っかかってしまった。

制服警官の指示に従い、路肩に停車して運転席の窓を開けると、早速、昨夜の(直江の)轢き逃げ事件について尋ねられたが、まさか、自分がその被害者だとは言えず、男は首を振るしかない。

高耶の方は、警官達には眼もくれず、車内に置き放しになっていた直江の仕事用のラップトップを勝手に開いて、つまらなそうに弄んでいる。

「ご協力感謝します」という警官の、丁寧な敬礼に見送られ、ようやく検問を抜ける頃には、高耶はすでに飽きてしまったのか、ラップトップを投げ出して、信号にさしかかる度、右だ、左だと、そっけなく指示を出した。

言われるままにハンドルを切り、数分走ると、高級インテリアや、アンティークショップが立ち並ぶ一画に出る。
高耶が居候していると思われる骨董店は、遠目からでも一目でわかった。

掲げられた「夜叉堂」と言う店名の異様さもさることながら、雑居ビルの一画を占めたその店が、一際、異彩を放っていたからだ。

店の横にあるパーキングに車を停め、店の前に降り立った時、直江は、改めて、その店構えに絶句させられた。

この店に、好んで足を踏み入れる客が、はたしているのだろうか。
そんな、よけいな心配をしたくなるほど、床から天井、通路まで、凄まじい数の品々が所狭しと積み上げられている。

しかも、店を埋め尽くす品には、値札がない上、アンティークドールやアクセサリー、日本人形に屏風に巻物、マリア像に観音像、古書に古道具、甲冑、陶器と節操がなく、その陳列具合も、到底、店とは思えない有様だった。

それでも、促されるまま、店内に足を踏み入れるや否や、一応、住職のはしくれである男は、すぐにそれらの品が、ただの骨董品でないことを一目で見抜いた。

「これは……、」
思わず、呟いた男に、高耶が以外そうに、
「―――気づいたのか?」
「ええ。この店の商品は、どうやら、普通の骨董品じゃあ、ないようですね」

男は、難しい顔で、積み上げられた商品を眺めながら、
「ここにあるものと、同じような品を、何度か実家で預かったことがあります」

「実家?」
鸚鵡返しに問いかける高耶に、直江は、そういえば自分のことを、何ひとつ話していなかったことに今更ながら気づいて、自分の実家が寺であることや、長兄の企業に勤める傍ら、自らも住職として、家業を手伝っていることなどを説明した。

「……あんた、坊さんだったんだな。なら、まったく素人というわけでもないわけか」
道理で、と高耶は一人、納得したように頷いた。

本人は気づいていないようが、この男は、術者でもないくせに、この自分をあの場所まで呼びよせるほどの、強い力を持っているのだ。

いずれにせよ、住職だというのは都合がよかった。
術を学ぶ第一歩は瞑想からだが、その基礎ができているなら、そう遠くないうちに、一人前の術者として、使えるようになるだろう。

自ら選んだ下僕の眼が、節穴ではなかったことに、高耶は満足そうな様子で、
「お前が言った通り、この店の品はすべて、持ち主が気味悪がって、頭を下げて置いていった、いわくつきばかりだ。たまに、付喪神化していて、調伏しなければ売り物にならないものあるが、殆どは、持ち込まれたままの状態で保管されている」

こともなげに言う高耶を見て、直江はようやく、この店の主で、陰陽師だという千秋という男が、彼を『店番』に選んだ理由がわかった気がした。

これほどの品を扱う店では、普通の人間では、到底、務まらないだろうし、元が魔であり、死にかけの人間を救えるほどの力を持つ高耶なら、古道具に染みついた霊の調伏など、朝飯前だろう。

高耶の後について、狭い通路を縫うように、薄暗い店の奥へと進む。
すると、レジ脇の椅子にふんぞり返って、液晶テレビの小さな画面に見入っていた男が、顔をあげるなり、鷹揚な口調で声をかけてきた。

「……よお」
では、この男が千秋なのだろう。
年は、直江より若く、おそらく二十二、三歳、と言ったところか。
柔らかそうな長髪を後ろでひとつに縛り、柄物のアロハのようなシャツにジーンズ姿で、眼鏡をかけている彼は、一見して、とても陰陽師には見えなかった。

だが、それを言うなら、高級ブランドの黒服で全身をがっちり固めた直江も、到底、住職には見えないので、ある意味、いい勝負といったところか。

高耶と、その背後に立った直江を、交互に見比べ、面白そうに彼は言った。
「……ニュース見たぜ。騒ぎになってる、被害者が消えた例の轢き逃げ事故って、お前らだろ?」

高耶はそれには答えずに、
「……こいつは直江だ。昨日から、オレの奴隷になった」
「高耶さん……」
ミもフタもない紹介のされ方に、困ったような表情を浮かべつつ、男が改めて名前を名乗ると、千秋はにやにやと笑って手を差し出した。

「千秋修平だ。……あんたも災難だっただろうが、まーとにかく命拾いしてよかったじゃねーか、旦那」

クックッと笑いながらも、若い陰陽師の眼は笑っていなかった。眼鏡の奥から、男を値踏みするように冷ややかに眼を細め、やがて、ふん、と呟く。

怪訝そうな直江に、千秋は、
「面白い気を持ってるな。琥珀色か―――はじめて見たが、あんたも術者か?」
その問には、変わりに高耶が答えた。

「こいつは、いまはまだ、ただの坊さんだが、これからオレがじっくり躾けて、一人前の術者に育てるから、黙って見ていろ」
「しつけ、ねぇ……」
その言葉に、また、千秋はクックッと笑って、
「あんた、年、いくつだ?」
直江が面白くなさそうに、二十八だと答えると、千秋はまた、皮肉そうな笑を浮かべ、
「その年で一から修行は、けっこーキツイんじゃねぇの?まあ、せいぜい仲良く頑張んな」



挨拶は、それで終りだった。
千秋の何ともひとを食ったような、小馬鹿にしきったような態度に、憮然とした表情を浮かべている男に、高耶はレジ脇の扉を示して、上だ、と言った。

どうやら、彼が居候している部屋は、この扉を抜けた、二階にあるらしい。部屋に行きかけ、高耶が思い出したように、
「……千秋。もう、あれは、用意しなくていいからな」

「そいつがいるから、もういらねーってか?」
あれ、とはいったい何かと、いぶかる直江をよそに、千秋はまた、意味深げなことを言いながら、クックッと笑った。

「実際、ありゃー簡単そうだが、手に入れるのは、以外とやっかいなシロモノだからな。まあ、また、どうしても必要になったら、その時は言いな。……そりゃそうと、色部のとっつぁんが、まだ、お前から、いい返事はもらえないかって言ってたぞ」

ここで、またしても、知らぬ名が出てきて、男は内心、顔を顰めた。
高耶を取り巻く環境には、この食えない男以外に、少なくとも、もう一人、色部と言う男がいるらしい。

「オレは何かの組織に属するつもりはないと、何度言えばわかる」
素っ気無く男を従え、店の奥へと引っ込みかける背に、千秋が尚も言った。

「今夜から、しばらく奈良に行ってくっから、店番頼んだぜ。今度のはちと、やっかいそうだから、下手すりゃニ、三週間かそれ以上、かかるかもしんねえな……そいつの躾もいいが、サボんじゃねえぞ、大将」


***


高耶に促されるまま、裏手に回ると、そのバックヤードも、展示しきれない骨董品の凄まじい山で、埋め尽くされている。
二階へと続く階段にも、ゴチャゴチャと物が積まれていて、大柄な男には、昇り難いことこの上ないが、高耶は慣れた様子で昇っていった。

店の二階は、キッチンとユニットバスがついた、コンパクトなワンルームだった。

物に溢れた通路や階下と違い、すっきり片付けられたその部屋は、本来は事務所か、休憩室らしく、手前にソファとテーブル、奥にスチールのロッカーと仮眠用の簡易ベッドが置かれ、高耶の私物らしい、服やスニーカーが並んでいるのが見て取れる。

「坐れよ」
ソファを顎で示すと、高耶は、音を消した状態でテレビのスイッチを入れ、小型の冷蔵庫から、冷えた缶コーヒーを取り出して、直江にほら、と差し出した。

直江は礼を言って受け取りながらも、先ほどから気になっていた質問を口にした。まさかとは思ったが、聞かずにはいられなかったのだ。

「あの……高耶さん。ここに、その……彼と住んでいらっしゃるのですか?」
「まさか」
それを聞いて、男は内心、密かに胸を撫で下ろす。


高耶によれば、千秋は長い間、この店の裏に部屋を借りていたのだが、つい先日、やはり、この近くに建つ、長年、幽霊屋敷として無人になっていた物件を手に入れ、悠々自適の暮らしをしているらしい。

その家の浄霊は、高耶も手伝わされたらしいのだが、魔である高耶でさえ、あんなところには住みたくないという家を、あえて購入して平気で住んでいると言うのだから、千秋という男は、相当な変わり者に違いなかった。

「……では、あなたは、この部屋で、一人で……?」
「通うのが面倒だからな」
高耶らしい答えに、男は苦笑する。
「先ほど、彼と話していた、もう、いらないという、『あれ』とは、いったい何なんです?」
「ああ……」
気になるのか?と高耶が笑い、男が正直に頷くと、彼は真顔になって、「血だ」、と言った。

眼を見開く男に、高耶は、
「……半年前、封じられていた鏡が割れて、自由の身になった時、オレは飢えて狂う寸前だった。四百年、何も食ってなかったんだから当然だろ?」

男は、なんとも言えない表情で高耶を見た。
「だが、オレが解放された時は、大規模な地震の直後で、そこいらで見たことない建物が潰れてたし、何より、オレが捕縛された時代とは、何もかも変わっちまってるし―――」


長い間、閉じ込められた挙句、見知らぬ世界に、突然、放り出されたのだから、その時は、さぞや不安だったに違いない。
「どうしたもんかと思ってるところに、千秋が現れた。あの時のオレは、いまにも、そこらの人間をとって食らいそうなほど、追いつめられていたからな。あいつは陰陽師だから、飢えた魔の殺気を感じて、慌てて飛んで来たんだろう」

「………」
「……で、オレを見るなり、千秋は、空腹なのはわかるが、人間を襲うんじゃねえぞ、と言って、どこからか、冷凍の血液パックを手に入れてきてくれた。期限切れで、本来は廃棄されるやつだ」

どう答えたものかと、黙り込む男に、
「本当は新鮮な血液がいちばんだが、仕方がない。義父上に捕縛され、この体に封じられた時に、無闇にひとを襲うな、お前はもう、ひとなのだからと教えられたからな」
そう言って、高耶はふと、かつての主を懐かしむような表情を見せたが、すぐに男を見るなり、にやっと笑った。

「だが、もう、オレにはお前がいる。……直江。昨日も言ったが、お前の血はうまいぞ。自慢していい」

そう誉められたところで、男は力なく、苦笑いするしかなかったが、例え彼にとっては単なる生餌だろうと、どんな理由にせよ、側にいられるのであればかまうものかと、そう、真剣に思いつめている己に気づかされ、また、苦笑せずにはいられなかった。

それにしても、自分は、まだ、このひとのことを何も知らない―――自分の知らない彼を、自分以外の人間が知っていることが苛立たしく、男の問いかけは、つい、尋問口調になってしまう。
これほどまでに、己が嫉妬深い人間だとは、直江本人ですら知らなかったが、高耶は、男の矢のような問いかけ対しても、気分を害することもなく、一つ一つ淡々と答えていった。

「……色部、と言う人物は、誰です?」
「千秋が入ってる『組織』のおっさん。表向きは医者らしいが、まあ、組織と術者の仲介、みたいな役目だな」
「『組織』というのは?」
「霊がらみの面倒を、金で請け負うってこと以外は、オレもよくは知らないが、どうせロクな団体じゃないだろ。まー、色部のおっさんが持ってくる仕事は、金になるから、たまに手伝う分には、そう悪くもないけどな」

高耶は口元を歪めて笑い、缶コーヒーを飲み干すと、器用に部屋の隅のゴミ箱に投げ入れ、つけっ放しだったテレビの画面に目を止め、顎をしゃくった。


「見ろよ」
言われるまま、テレビの画面に目をやると、昨夜、直江を轢き逃げした車輌が、××区の空き地に放置されているのが発見されたらしく、無残にひしゃげ、ブルーシートをかけられた無残な乗用車の姿が映し出されていた。

大きくへこんだバンパーと、血にまみれて砕けたフロントガラスが、なんとも悲惨である。

アナウンサーは、車は盗難車で、犯人はいまだ逃走中、被害者の生死も不明だと、淡々と伝えていた。

「―――犯人の顔、覚えているか?」
男は、なんとも言えない表情で、いいえ、と首を振った。

思えば、昨夜、轢き逃げされて死にかけなければ、このひとと出会うこともなかったのだと思うと、直江はかなり、複雑である。

その後も、男は高耶に思いつく限りの問をぶつけたのだが、高耶はいやがることなく、どの質問にも淡々と答えた。
そうして話してみてわかるのは、高耶は驚くほどに純粋で、嘘をつくということを知らない、ということだった。

ひとの気を食らう魔だと、本人は悪ぶっているが、かつての主が、捕縛した彼を調伏せず、仮初の体を創って封じてまで、側に置こうとした理由がわかる気がした。


高耶の傍らで過ごす時間は、あっという間に過ぎた。
夕方、奈良に出かけるという千秋と入れ替わるように、二人して店に下りても、客は誰一人としてやっては来なかった。

高耶によれば、いつものことだそうだが、この店内の惨状では、無理もないだろうと男は苦笑する。

それにしても、見れば見るほど、もの凄い数の骨董品である。
「売れるより、持ち込まれる方が圧倒的に多いからな。言っておくがな、オレが来る前は、この店、もっと凄かったんだぞ」
「それは……ちょっと想像もつきませんね」
男はまた、苦笑せずにはいられなかった。

暢気な会話をしている場合ではないような気もするのだが、傍らで彼を見ていられることが、何とも男を幸福にさせる。
やがて、完全に日が落ちかけた頃、高耶が今日はもう、店を閉めると言い出したので、男は、思い切ったように、言った。

「あの……高耶さん」
「ああ?」
「これから何処かで食事でもして、その後、よろしければ、また、私の家にいらっしゃいませんか?」
「……へ?」
高耶は子供のように、目を見開いた。

「ええ。下僕見習としては、まだまだ、主のあなたに、いろいろと教えていただきたいこともありますし。明日も、また、こちらまでお送りしますから」

いかがです?と、微笑む男に、半ば押し切られる形で、高耶は、高級レストラン経由で、再び、男のマンションへと連れて来られたのだった。

車を降りる際、高耶は以外なことを言った。
「血だけじゃなく、お前は運転も悪くない。一度、千秋の助手席に乗ってみろ。死ぬぞ」
「そうですか?」
男は苦笑した。どうやら、とりあえず、運転手としては、あの男よりは気に入ってもらえたらしい。

高耶をエスコートするように、エレベータに向かいながら、男は密かに決意していた。
いまはまだ、運転手兼生餌でしかなくても、近いうちに、必ず『術者』としても、このひとに信頼される存在になってみせると。




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