心霊探偵八雲 mira vervion 5






「………うっ……」
高耶が、ワンボックスの車内で意識を取り戻した時は、何かの薬剤が木下によって腕に注射された後だった。

周囲はすっかり暗くなり、間近で水の流れる音がする。

「……高耶くん……気がついたんだね。でも、残念だけど、ちょうど注射を打ったところだから、動けやしないよ」

「………」
朦朧としつつも、何かいいたげな高耶に、木下は、心底、済まなそうに、
「高耶くん……私は無論、君に恨みはない。むしろ、えりかの魂が、まだここにいると教えてくれて、本当に感謝している。だが、えりかを取り戻すには、どうしても、君の体が必要なんだ。すまないが、許してくれ」


木下は、動けない高耶を、強引に車から引き摺り下ろす。
そこは、木下えりかの遺体が発見された、××川の護岸だった。

「今から、君をこの川に投げ落とす。気の毒だが、君という人間は死に―――変わりに、えりかが蘇る」
木下は、熱に浮かされたように呟いた。


(……えりかちゃん……)
力なく横たわる高耶の半開きの左眼には、熱っぽく娘の転生を語る父親に縋り、泣き叫ぶ少女の霊が見えていた。

彼女は小さな体を震わせて、泣きながら必死に、お父さん、もうやめて、と訴える。

誰よりも、彼女自身が、こんな形での転生など、望んではいないのに―――切ない叫びは、木下の耳には届かない。

死者の魂は、高耶の持つ、紅い左眼にしか見えないのだ。
そして、もう、自分には―――何もできない。

(なおえ……)
高耶の眼から、涙が伝う。
お前と会って……オレは、やっと、心から、お前と一緒に、生きていきたいと思ったのに。


***


その直後。

何十台ものパトカーが、一斉にサイレンを鳴らしてこちらへと駆け付け、無数のサーチライトが木下と、その足元に横たわる高耶の姿を照らし出した。

「木下あああ!やめろ―――!」
車を降りるなり、叫びながら駆け寄ってくるのは、木下もよく知っている、安田という刑事だ。

「―――高耶さん!」
木下の足元に転がっている高耶を見るなり、直江の全身が怒りに震えたが、次の瞬間、木下に蹴り出されるようにして、細い体は、暗い夜の川へと消えた。


「―――!」
直江が上着を脱ぎ捨てるや否や、後を追って、躊躇いなく夜の川へと飛び込む。

(―――なおえ……)
薬で自由を奪われた体が、冷たい水へと投げ出される。
一気に水底へと沈みかける細い腕の片方を、直江は無我夢中で掴んで、己へと手繰り寄せた。

想像以上に流れの速い川の流れに逆らいながら、ぐったりした体を抱いて、水面へと顔を出した直江の姿を、警察車輌のライトが照らし出す。
それを見た木下が激昂して叫んだ。

「邪魔するな!邪魔をするなあああ!」

片手で高耶を抱え、もう片手を眼一杯伸ばして、護岸に手をかけようとした直江の指に、木下が拾い上げた角材を振り下ろそうとしたが、それより早く、駆け付けた千秋が木下の横っ面を、思いきり殴り飛ばした。

「がっ……!」
吹っ飛んだ木下に、制服警官の群が一斉に群がる。

「―――直江!」
「このひとを、早く!」
直江は千秋の助けを借りて、ぐったりしている高耶を護岸へと引き上げると、自らも息を切らして、ようやく水から這いあがった。

「……高耶さん……高耶さん!!」
青ざめ、ぴくりとも動かぬ高耶を見るなり、千秋が救急車を呼ぶよう叫ぶ。

直江が人口呼吸し、胸を押すと、高耶は少量の水を吐き出して、苦しげに咳込み、その後、ようやく眼を開けた。

水に落とされた際、コンタクトを無くしたらしく、黒と深紅の二つの瞳が、男を見上げる。

「……な、お……、え……」
苦しい息の中で、高耶が男の名前を呼んだ。
「高耶さん……しっかり……!」
かきいだく男の腕で、高耶は必死に、上体を起こそうと喘いだ。
どうしても、今、この場所で、あの男に伝えなければならない。

木下は、猛烈に抵抗したものの、高耶達から数メートル離れたところで、警官数人がかりに取り押さえ込まれていた。

直江に支えられるようにして、どうにか上体を起こした高耶は、苦しい声を振り絞る。
「頼む……木下、を……ここへ……」
「高耶さん!」
直江がいけないと首を振るが、高耶は必死だった。

「あの子が、来ている……頼む、なおえ……あの子の言葉は……オレにしか、伝えられない……」
「高耶さん……」

千秋に殴られ、顔面を腫らし、項垂れた木下が、制服警官に両脇を抱えられて引き摺るように連れて来られる。

警官達が、サーチライトに照らし出された高耶の左眼を見るなり、一様に息を飲むのがわかった。

「きのした……さん……」
直江の体にずぶぬれの身を預けながら、高耶は、必死で掠れる声を振り絞った。

「……あなたはいったい―――何人殺せば……気が済むんですか……。このやり方では、何人を犠牲にしても……えりかさんはとりもどせない……」
「嘘だ……うそだ!」

わめく木下に、
「娘をなくすつらさを……あなたは誰より……知っている、はずなのに……あなたは……同じく娘を愛する両親から……罪もない……二人の子供の命をうばった……あなたは……残酷な殺人者だ……」

「ちがう、わたしは……!」
高耶は、喚く木下の体を庇うようにして、お父さんをいじめないで、と必死に訴える少女を見た。
この少女の為にも、この父親の眼を覚まさせなければならない。

「……えりかさんが……あなたの側にいる……あなたを、いじめないでといっている……」

これには、木下だけでなく、木下の体を掴んでいる警官達も、ぎょっとしたような表情を見せた。

「……え、りか……」

「あなたが、そうして―――彼女の魂を……縛り続ける限り……えりかさんは……この先も、ずっとこの場所で、苦しまなければならない……えりかさんは……あなたが……これ以上、罪を重ねることを望んでいない……どうか、彼女のためにも……眼を覚まして……犯した罪を……償ってください……」

高耶の、苦しげな声を聞いていた木下の足元に、暖かな感触があった。

眼には見えないけれど、このぬくもりは、確かに娘のものだ。
娘は、よくそうして、多忙な木下の足に両腕を回して甘えてきた。

(パパ、今日ね、えりかテストで百点取ったよ―――)

愛くるしい、愛娘の笑顔が蘇った時、木下を支配していた憑き物が、一気に落ちた。


「……え、りか……」
木下は、そこに立っている我が子の姿を見た。

同時に、木下と一緒にいた、数人の警官達も、息を飲んだ。
彼らの目にも、柔らかな光に包まれている少女の姿が、見えたのだろう。


少女は笑っていた。
父親が、ようやく悪夢から覚めたことを悟って―――少女の姿は、やがて、小さな光の塊となり、木下の前からかき消すように消えた。

「う……うあああああああ!!」
娘が旅立ったと同時に、自らが犯した罪の重さを、はじめて悟ったかのように、木下が、慟哭する。
木下は、泣きながら警官達に、パトカーへと引き摺られていった。



「………」
同じく、少女が旅立ったことを確かめ、安堵した高耶が、直江の腕の中でぐったりと力尽きる。

「たか……高耶さん?!お願いです、しっかりして……高耶さん!!」
直江が絶望的な声で、細い体を揺さぶった。
それを見ていた千秋が、駆け出して、救急車はまだかと怒鳴る。遠く、近づいてくるサイレン―――

「高耶さん―――高耶さん!!」
高耶は、いまにも死にそうな顔で名前を叫ぶ男に、かろうじて微笑んだ。
自分はもう大丈夫だから、少しだけ寝かせてくれ……そう呟いたつもりだったけれど、もう言葉にはならなかった。


***


翌日。

すでに日が翳りかけた頃、病院のベッドで高耶が眼を覚ますと、一睡もしないで付添っていたらしい男の、やつれた顔がそこにあった。

「―――直江……」
「高耶さん……気がついたんですね。よかった……」

安堵のあまり、涙を落としかけた男は、投げ出されていた細い手を取って、顔を埋めた。
らしくもなく、ヨレヨレになった黒いスーツの肩を震わせている男に、高耶が、照れたように、微笑む。



それから高耶は丸一週間、収容された病院の特別個室に缶詰にされた。

使われた薬の効果が完全に抜けた後は、高耶はすっかり回復したのだが、どれほど、もう大丈夫だと言い張っても、直江が断固として退院を許さなかったのである。

しかも、仕事そっちのけで、朝から晩までべったり付添っていた直江だけでなく、直江の両親や、直江家長男・照弘夫婦、次男義弘夫婦が入れ替わりに見舞いに訪れ、高耶を恐縮させた。


見舞いといえば、以外な人物も訪れた。

森野警視の妻と、高耶に救われ、すっかり回復した森野紗織である。

安藤に憑依されていた時とは違い、健康を取り戻した彼女は、驚くほど可愛らしく、改めて、助けてくれたことを感謝し、高級メロンのつめ合わせを置いていった。
帰り際に紗織が告げた一言は、直江を慌てさせた。

「あの……仰木さんの左眼って……とっても綺麗ですね」


一方、事故直後に、別の病院に担ぎ込まれた綾子の方も、軽い脳震盪の他は、幸い、肋骨に軽いヒビが入っただけで済んだ。
この程度の怪我で済んだのは奇跡だと、主治医をあきれさせているらしい。

今回、活躍できなかった上、愛車のバイクを廃車にされて、本人はかなり不服のようだが、とりあえず、高耶も綾子も、大事に至らなかったことを、感謝すべきだろう。

高耶の付添いで直江が仕事を放棄し、綾子も大事を取って入院中の為、一人、捜査室に残された千秋は、事件の事後処理にてんてこ舞いで、首が回らぬようだ。

それでも、合間を縫って見舞いに訪れた時は、「この件が一段落したら、ぜってー休暇を取ってやる」と血走った眼で息巻いていたが、あの調子では、当分、休暇など夢の夢だろう。

こうして、安藤を被疑者死亡のまま起訴、木下を逮捕起訴して、連続児童誘拐殺害事件は無事、解決し、同時に、××川で続発していた幽霊騒ぎも、自然と収束に向かった。


***


ようやく退院を許された高耶は、直江に付添われ、その足で、自らも殺されかけた××川を訪れていた。

三人の少女達が命を奪われた場所―――そこには、もう、苦しむ少女の霊の姿はない。

高耶は手にした花束を川に流し、直江も、数珠を手に、改めて少女達の冥福を祈った。

病み上がりの高耶を気遣うように、直江が、自分の上着を脱いで細い肩に羽織らせ、自宅に戻るよう、促す。

「まだ、本調子ではないのですから……そろそろ戻って休んでくださらないと」
「大丈夫だって言ってんだろ」
「本当に大丈夫かどうかは、帰って確認しないとわかりませんし、私としては、安心できませんね」
「……バカ」


後に分かったことだが、安藤聖の兄は、数年前、安藤の見ている前で、自ら命を絶ったのだという。
そうしたことが、安藤が死を異様に恐れたり、並外れた生への執着を生む原因になったのかもしれないな、と、男と肩を並べて歩きながら、高耶は思った。

木下の方は、千秋によれば、今は、驚くほど素直に取調べに応じているらしい。
娘を思うあまりとはいえ、彼の犯した罪はあまりに重く、極刑はまぬがれないだろうが、木下は、すでに身を持って罪を償う覚悟はできているようだった。

高耶に対しても、申し訳なかったと、謝罪の言葉を口にしているそうだ。


「……これからは、大学へは、私が送迎します。私の手がどうしても離せない時は、所轄の誰かをボディガードにつけさせますから」
大真面目に告げる直江に、高耶はあきれたように、
「冗談……」
「冗談ではありませんよ。この一週間、私はもう、本当に生きた心地がしませんでした。あなたに何かあったら、私は生きていけません」

大丈夫、駄目ですの応酬を繰り返していると、道の向こうから、小学校低学年と思しき少年が、こちらに向かって元気よく走って来て、高耶のシャツを引っ張った。

「お兄ちゃん」
「……ん?どうした?」
高耶が笑いながら背を屈めて、少年を覗き込むと、
「あのね、あのおじさんがね、お兄ちゃんに、この紙を渡してきてって」

「あの、おじさん?」
高耶はおうむ返しに繰り返して、少年が指差した方向を見た。
直江もそちらを見たが、広い河川敷には、それらしい姿はない。

「あれ……おかしいなあ……サングラスをかけたおじさんが、さっきまで、いたんだけど……」

どこいっちゃったんだろう……少年は首を捻りながらも、まあ、いいや、と呟いて、
「じゃあね。ぼく、たしかにその紙、渡したからね」
「あっ、ちょっと待っ……」
少年は、元気よく走り去っていく。

手渡された小さな紙には、ワープロで、ごく短い文章が印刷されていた。

『―――近いうちに、また』

「……なんだ、これ……」
高耶は怪訝そうに呟く。
嫌な予感に襲われた直江は、高耶を庇うようにして、改めて周囲に視線を巡らせた。

だが、やはり、何処にも、あやしい人影は、見当たらない。
直江は緊張した面持ちで、高耶の肩に腕を回し、車へと促した。


「高耶さん……早く、車に」
「あ……?ああ……」

高耶を庇うように、黒いスーツの長身の男が周囲に目を光らせながら、足早に車へと向かうのを、川沿いに建つ、とある高層マンションの踊り場から、サングラスをかけた男が見ている。

あの直江という男さえいなければ、高耶は誰にも心を開かず、闇を見続けて成長し、それは素晴らしい作品になっただろうに―――男が、徐にサングラスを外した。
その両眼は、地獄の業火を思わせる、身も凍るような深紅だった。

近いうちに、また。

その言葉が、どれほど恐ろしい意味を持つのか、直江も高耶も、まだ知る由もなかった。


end.





遅くなりましたが……八雲パロ、やっと最後までアップできました(死;;)
ちょっと不穏な(?)ラストですが、高耶さんはこの先何があろうと、直江が守りますから心配いりませんで(コラ)一応、これで終りです(^-^;
長くなってしまいましたが、よろしければ、頑張って書いたので、読んで頂けましたら幸いです(^-^;;

直江に白衣と法衣を着せられましたし、浄霊もどきをするサディスティックな高耶さんvも書けましたし、当社比では、滅多にないほど甘い二人を書けたので、書いてる本人だけは、めちゃ楽しかったです(^-^;;

それから、お詫びです。高耶さんを直江以外の人間にラチらせてしまいました……;;;
でも変なことはされてませんから許して下さい;てか、大事な高耶さんを、直江以外にさせてたまるか(>_<)v
この先が気になる方は、是非とも、本屋さんか、図書館で原作を読んでみてくださいvv

個人的には、あと2話ぐらいは、番外編で、また、この甘い関係の二人を書けたらいいなあとか、こっそり思ってます(^-^; 
自分、片眼の赤い高耶さん、よっぽど好きらしい…(笑v