心霊探偵八雲 mira vervion 3
その翌日。
断りようのない仕事を、引き受けてしまった直江は、高耶を伴い、都内の、とある豪邸前に降り立った。
男は、いつもの黒スーツではなく、黒い法衣に紫の袈裟と長い数珠をかけた住職の姿で、一方の高耶は、普段と変わらぬ、白いシャツにジーンズ姿だ。
「……すみません、高耶さん……あなたをまた、こんなことに付き合わせてしまって……」
ひどく項垂れている男に、高耶は苦笑して、
「いいって言ってんだろ。それにしても、本庁警視の娘さんが、新聞記者ってのは正直、以外だったな」
警察関係者とマスコミ、特にブンヤ―――いわゆる新聞記者が、犬猿の仲であることは、よく知られた事実だ。
「……ええ。なんでも、警視は大反対されたそうですが、お嬢さんが強引に押し切って、××新聞社に入社してしまったのだそうですよ。新聞社側も、警視の娘さんを雇えば、取材に有利になると思ったのでしょうね」
それにしても、直江の法衣姿を見るのは、何年振りだろう、と高耶は思った。
長身で、『甘いマスク』と言う表現がぴったりの顔に、モデルのように引き締まった体型の直江は、何を着ても悔しいほど、サマになっている。
高耶としても、身長は178.5cmあり、決して小さいわけではないのだが、年齢も十一歳も上で、190cm近い直江と並べば、どうしても大人と子供のような印象は否めなかった。
「……どうしました?」
高耶の視線に気づいた直江が、こちらを見た。知らず、男の法衣姿に見とれてしまっていた自分に、高耶は照れ隠しからか、そっけなく、別に、と首を振る。
男は悪戯そうに、
「あなたに、そんな眼で見て頂けるなら、いつもこの姿で過ごすのも、悪くはないかもしれませんねぇ」
帰ったら、この格好で抱いてあげますよ。
罰当たりな言葉を吐く男を、赤くなった高耶は思いきり殴りつけた。
***
本庁警視の令嬢にして××新聞社会部・新米記者、森野紗織は、今回の『連続児童誘拐殺害事件』の現場を取材するうちに、見えない手に川へと引き込まれ、助けあげられた時には、すでに何かに憑依されたとしか、思えない状態になっていた。
森野警視は、多くの警察関係者がそうであるように、霊や超常現象など、まったく信じておらず、色部が提唱した『未解決事件特別捜査室』の存在も、ハナから馬鹿にしていたらしい。
だが、娘が現実に、医者の手におえない状態になり、他に打つ手も見つからず、しかも、それを内密にしたい事情もあって、悩んだ末、色部の捜査室に娘を託すという、苦渋の決断をしたのだった。
結果、監察医であり、住職でもある直江に白羽の矢が立ったのだが―――問題は、彼女自身が、自分を「安藤聖」だと名乗っていることだった。
結局、真相を確かめる為に、直江は再び、高耶の助けを借りることになってしまったのである。
インターフォンを鳴らすと、門が開き、かなりやつれた様子の五十代と思われる女性が、応対に出た。警視の妻―――つまり、紗織の母親である。
娘を思うあまり、憔悴しきってしまった彼女は、法衣姿の直江を見るなり、娘を助けてくれと言って、わあわあと泣き崩れた。
泣きじゃくる母親をどうにか宥め、高耶を有能な霊能者だと紹介した上で、娘がいるという、二階へと通される。
いかにも、若い女性らしい『saori』という表札のかけられた部屋からは、男のようなうめきが聞こえた。
母親を先頭に、室内に足を踏み入れると、本や雑貨類が乱雑に散らばった部屋のベッドに、痩せたパジャマ姿の若い女が身を横たえ、不気味な眼でこちらを睨みつけていた。
高耶は、離れたところから、女を凝視していたが、母親が彼女に近づき、何か話しかけている間に、直江の法衣の袖を引き、囁くように言った。
「―――直江。確かに彼女の中に安藤がいる。それも、かなり、まずいことになってる。このままでは、彼女が危ない。オレが話をしてみるから、ここはオレを信じて、いいと言うまで黙っていてくれないか?」
「……高耶さん」
心配そうに高耶を見遣りながらも、直江は頷いた。
高耶がこれだけ言うということは、紗織の状態は、相当、深刻だということだ。
得度していても、自分には高耶のような特殊な力はない以上、ここは、高耶に任せるしかない。
「―――紗織、紗織、聞こえるでしょう?こちらの方達が、あなたを助けてくださるのよ」
おろおろと話しかける母親に、娘は男の声でわめいた。
「この体はもう俺のものだ……出ていけえ……」
「―――安藤だな?」
前に進み出て、声をかけたのは高耶だった。
名指しされたその声を聞き、紗織の体がビクン、と震える。
「安藤聖。オレには、お前の本当の姿が見えている。お前は紗織さんじゃない。いくらお前が望んでも、その体は、決して、お前のものにはならない。―――出ていけ」
高耶は、冷たく言い放った。
「お前、えりかちゃんを殺したな……」
その言葉に、紗織の母親がギクリと身を強張らせたが、高耶は構わず言葉を続けた。
「お前は、罪もない子供の命を奪い―――そのニ週間後、お前自身がひき逃げされた時は、自分の死を受け入れられず、少女を遺棄した現場に舞い戻り、手当たり次第、そこに集まる人間を川に引き摺り込んだ。そして、溺れかけている人々に誰彼構わず、憑依を試み、ついに、紗織さんの体に入り込んだんだ。違うか?」
「ダ、マ、レ……ッ」
言当てられた安藤は、おそろしい声でわめいた。だが、高耶は無論、動じずに、更に冷酷に安藤を追いつめる。
「お前がどれほど、彼女の体を奪おうとあがいたところで、ひとつの体で、二つの魂が同時に生きられはしない。紗織さんは、お前を嫌悪し、死に物狂いで抵抗している。このまま行けば、紗織さんの体は衰弱する一方だ。おそらく、長くは持たないだろう―――」
紗織に憑依した安藤に、恐怖の表情が走った。
高耶は更に、畳みかける。
「もし、紗織さんの体に万一のことがあれば、その時は、同時にお前も死ぬことになるだろう。安藤聖―――お前は死を恐れている。そのことが、オレには、手に取るようにわかる。お前は死ぬことが、怖くて怖くてたまらない。それほどまでに死が怖いなら、そうなる前に、彼女の体から、大人しく出ていったらどうだ?」
「だまれえええ……!」
男の声で絶叫する紗織に、高耶は今度は大仰に溜息をついて、
「馬鹿な奴だ。素直に出ていけば、まだ、死なずには済んだものを」
不敵な高耶の言葉に、紗織は、急に不安になったように、なにをする気だ、とわめきはじめた。
「オレが何をしようとしているか、そんなに気になるか?」
高耶は、サディスティックな笑を見せて、徐に左眼のカラーコンタクトを外した。
見たこともない、夜叉のような深紅の左眼に睨まれた紗織が、男の声で悲鳴を上げる。
「ひいいいい!」
傍らで、紗織の母親も驚きのあまり、ヒッと息を止めたが、無論、高耶は気にもせず、尚も紗織の体に歩み酔った。
「く、くるなあああ……」
ショックで固まっている母親を、浄霊の妨げになるからと、直江が部屋の外へ促し、ドアを閉める。
真剣に怯えはじめた安藤に、高耶は鼻で笑い、
「オレの眼には、お前が見えると言ったはずだ。オレはこの通り、普通の人間じゃないんだよ。お前一人ぐらいは、余裕であの世に送ってやれる」
「ばけもの……っ」
紗織の声でわめき、怯える安藤に、高耶は冷酷に言い放った。
「死ぬのを怖がっている幽霊に、化け物呼ばわりされる筋合いはねえな。安藤―――こちらの住職が誰かわかるか?お前の遺体を検死した医者だよ」
直江は、先日、安藤の遺体を前にした時と同じように、数珠を握って、紗織に向かって合掌してみせた。
「お前の肉体は検死解剖され、その後、荼毘にふされて、もうこの世にはない。今からお前の魂も、行くべきところに送ってやるが、罪もない女の子を殺すような奴を、楽に逝かせてやるほど、オレは優しくはないからな―――覚悟しろよ?」
凄惨に笑った高耶の脅しに、紗織の中にいる安藤は、壮絶な悲鳴を上げた。
「やめろおおおお……!!!」
途端、紗織の体から力が抜け、糸の切れた人形みたいにぐったりとベッドに倒れ込み、それと同時に、ゴーという音とともに、何かが室内を突き抜け、窓から覗く桜の大木に止まっていた鴉に乗り移るや否や、勢いよく飛び立って、たちまち見えなくなった。
***
今までの狂乱が、嘘のように静まりかえった室内。
それまで漂っていた異様な空気は一瞬のうちに消えうせ、大きく息を吐いた高耶の体が、突然、崩れるようにがっくりと膝をついたので、直江は驚いて高耶に駆け寄った。
「―――高耶さん!」
「大丈夫だ……久しぶりに強い霊と接触したから、ちょっと疲れただけだ。―――悪い、直江。せっかく坊さんの格好してきたのに、お前の出番、とっちまったな」
顔を上げた高耶は、苦い顔で
「安藤の、異常とも思える生への執念が、彼女の魂を侵食しはじめていて、かなりヤバイ状態だった……こんなのを見たのは、初めてだ……ただ、奴は人を殺したくせに、自分自身は、死に対して、異常なほどの恐れを抱いていた。……それが、手に取るようにわかったから、思いきってハッタリ聞かせてみたんだけどな」
これほど、上手くいくとは思わなかったけどな、と高耶は苦く笑った。
「―――鴉の体じゃあ、そう長くはもたないだろうな。新たに人に憑依するような力は、奴にはもう、残ってないと思う」
自分は大丈夫だから、彼女を見てやってくれと言う高耶の言葉に、直江が、気を失っている紗織の手を取り、脈拍を確かめる。
危険な状態でないことを確認し、改めて安堵の息を漏らした時、紗織がおずおずと眼を開けた。
「あ……あの……あたし……」
先ほどとは、まったく違う、若い女性の、戸惑い、怯えきった声と表情がそこにあった。
おそらくこれが本来の彼女なのだろう。
直江は力づけるように、
「もう、大丈夫ですよ。こんな格好をしてますが、私はこれでもあなたのお父さんと同じ、本庁所属の医者ですから……安心して下さい」
高耶が、部屋の外で、おろおろと待機していた母親を呼び入れる。
母親は、改めて高耶の赤い左眼を目の当たりにし、衝撃を隠せないようだったが、それでも紗織の、おかあさんという声を聞いて、部屋に駆け込むなり、娘と抱き合って号泣した。
「おかあさん……」
「―――紗織……紗織!よかった……」
二人の様子を見守っていた男の耳元に、高耶が小声で囁く。
「もう大丈夫だとは思うが、この女性はどうも、霊を呼びやすい体質のようだ。念の為、この家と彼女に、お祓いをしてやってくれないか?」
「わかりました」
「―――せっかくそんな格好してきたんだし、少しはそれらしい仕事しねえとな?」
クスクスと笑う高耶に、直江は困ったような笑を見せた。