「うたかたの日々」ミラバージョン

by 417



直江は宇都宮シティで1,2を争う富豪だった。
彼の屋敷はそれは広大で、屋敷自ら勝手に増築を繰り返す為、全室をまわろうとすれば、迷子になってしまうほどである。

屋敷の地下には、使っても使っても、無くならない金庫。
最高級の執事や料理人やメイドが常に身の回りの世話をし、生まれた時から文字通り、何不自由のない暮らし。
だが、屋敷の最上階の窓辺に立って、外の景色を見下ろす直江の表情はなぜか暗かった。
幼い頃から自分に近づいてくるのは、あからさまに財産目的とわかる人間ばかり。
直江は決して幸せではなかった。
彼は、孤独だったのだ。




ある日曜日のこと。直江が愛車のウインダムで教会の前を通りかかると、教会の扉が開いて、大勢の子供達が出てくるところが目についた。

子供達は皆、教会で養われている孤児である。
毎週、日曜日になると賛美歌を歌いながら募金箱を持って町を歩き、寄付を募る傍ら、自らをもらってくれる里親を探しているのだった。
やがて、子供達の後に、灰色の仔猫を胸に抱いた一人の青年が出てきた。
寄付をしようと車を止めた直江の視線は、一目見た瞬間、彼に釘づけになっていた。


すらりとした体、艶やかな黒髪。
意志の強そうなその瞳は、この世のものとは思えない深紅。
こんなに綺麗なひとがいたなんて…!
直江はいてもたってもいられずに車を飛び降りて、青年の元に駆け寄った。
何事かと驚いている彼の手を、直江はそっと取って口づける。


青年の名は仰木高耶。
身よりがなく、家族は抱いている拾ったばかりの仔猫だけで、仔猫ともどもこの教会に身を寄せ、子供達の世話係として働きはじめたばかりだと云う。



出会いから僅か数日。直江の強引すぎるほどのプロボースを、最初は戸惑ったものの、高耶は受けた。
直江の中に自分と同じ孤独を見たからだった。
直江となら、幸せになれると。





二人の結婚式の日は、シティ中がお祭り騒ぎになった。
シティ1の大富豪に見初められた紅い瞳の花嫁を一目見ようと、結婚式の行われる教会には人々が大挙して押し寄せた。

控え室では、着つけを終えた高耶の前で、純白のスーツに身を包んだ直江が眩しそうに高耶を見つめている。ドレスは直江自身がデザインし、特別にあつらえさせたものだ。
「高耶さん……綺麗ですよ」
囁く声は心なしか震えている。
「バカッ、オレ……本当はドレスなんて恥ずかしいんだからな」
高耶は照れ隠しなのか、ぶっきらぼうに云った。
でも……お前がどうしてもって云うから。
紅くなった顔を隠すように、ブツブツ云っているいとしい体を抱き寄せると、直江は微笑んだ。
「高耶さん……あなたを愛しています。誰よりも幸せにしますから」




ウエディングマーチが鳴り響く中、レースで顔を覆い、純白のドレスでバージンロードを歩く高耶はそれは美しく、参列者はため息をつくばかりである。
高耶の背後で長いドレスの裾をくわえ、長い尻尾をぴんと立てて歩く仔猫までが誇らしげに見える。

神の御前で誓いの言葉とともに、交わされる指輪。
永遠の愛を誓う口づけ。

シティ中の人々から祝福を受け、拍手と歓声に見送られて二人はオープンに改造されたウインダムで新婚旅行に出た。
無論、高耶がにゃんこと名づけて可愛がっている仔猫も一緒に。





二人(と一匹)はとても幸せだった。互いに孤独だった昔が嘘のように。
毎日、ウインダムで気ままに走り、気に入った街があれば何日でも好きなだけ滞在し、夜はホテルで互いに愛を確かめ合う、まさしく蜜月。


その日も海沿いを一日中走り、沈む夕日を堪能し、岬近くのホテルにチェックインした二人は、レストランで食事を済ませ、ベッドですでに丸くなっている仔猫を置いて、フラッと外へ出た。




空には満月。見下ろせば断崖絶壁と云う展望台のヘリに立って、打ちつける波涛を聞きながら高耶は呟いた。
まるで、世界の果てに来たみたいだと。
その横顔が切なく見えて、直江はたまらなくなり、いとしい体を抱き寄せた。
「直江……?」
「高耶さん……」
直江の体が震えているのを感じて、高耶は「バカだな……」と照れたように微笑んだ。
抱擁はやがて、口づけへとかわる。
今すぐ繋がらなければ、高耶を無くしてしまうような漠然とした恐怖に襲われて、直江は高耶をその場に押し倒すと、強引に押し入った。
自分の中で脈打つ直江を確かに感じて、高耶は一筋、涙を零した。






新婚旅行から戻って一ヶ月。
その日は朝からどうにも体調がすぐれず、高耶は日が昇ってもまだベッドにいた。
どうやら風邪をひいてしまったようで、この数日、微熱と咳が続いている。
仔猫もベッド脇のテーブルに乗って、心配そうにしている。
「高耶さん……大丈夫ですか?」
直江は高耶の額にそっと手を当てた。
「熱……下がりませんね」
「大丈夫だって」
心配をかけまいと高耶は笑うが、時折、胸に微かな痛みを感じ、息苦しくなって咳込むこともある。
直江は、あまり乗り気ではない高耶を説得して、医者に連れて行くことにした。



医療地区に入ると、辺りには独特の消毒薬の匂いが漂っている。
この地区には医療関係の農場も多く、注射器農場が収穫を迎え、農夫がたわわに実った注射器を忙しげに摘み取っている様子が見えた。

この日はたまたま、あちこちの病院で手術があったらしく、道沿いを流れる川は血の色に染まり、切り取られた臓器が流れている。その様は、見ていてあまり気持ちのいいものではなかった。
「高耶さん、大丈夫ですか?」
自分をしきりと気遣う直江に、高耶は笑を浮かべ、なんでもない様子を装ったが、その顔色は青白く、呼吸はつらそうだ。



ようやく目指す中川病院が見えてきた。
「高耶さん、着きましたよ」
直江が力づけるように声をかける。
シティでも名医と評判の高い中川医師は、二人を笑顔で迎えてくれた。

簡単な問診の後、診察室の椅子に坐った高耶の胸に聴診器をあてると、中川医師の表情が曇る。すぐにレントゲン撮影が行われ、出来あがったばかりの写真を見て、医師はため息をつくと、隣室で待たせていた直江を呼んだ。
「……これは……」
直江も、高耶自身も、自らのレントゲン写真を見て絶句してしまった。




高耶の肺の片方に、見事な睡蓮の花が咲いているのである。
中川医師は難しい顔で呟いた。
「おそらく旅行中に、何処かの街で取りつかれたのでしょう」
「いったいどうすれば……」
動揺する直江に、
「このままでは、もう片方の肺にも睡蓮が転移する可能性があります。手遅れになる前に、手術で睡蓮ごと肺を片方取ってしまうしかありません。それも緊急に」
「手術……」
直江は顔を歪ませた。
高耶の体にメスが入る。このひとの体に。こんなに綺麗な体なのに……
だが、そんなことを云っている場合ではなかった。
放っておけば命にかかわるのだ。




そうして、高耶はそのまま入院し、緊急手術を受けることになった。
手術自体はそれほど難しいものではないから、心配はいらないと医師が力づけたものの、高耶が手術室に入っている間、直江はもしも高耶に何かあったらと生きた心地がしなかった。

直江の祈りが通じたのか、高耶の睡蓮に取り付かれた肺を摘出する手術は、無事に終わった。
「高耶さん……」
直江は麻酔が醒めた高耶の手を取って、そっと握り締める。
「高耶さん……よかった……あなたにもしものことがあったらと……」
見る影もなく憔悴しきった直江の目に、光るものを見て、高耶は照れたような笑を浮かべた。
「……バカ……泣くなよ……」
「痛くないですか?大丈夫ですか?」
「ああ。……ごめんな、心配かけて」

一週間の入院後、元気になって屋敷に戻ってきた高耶を見るや否や、仔猫が嬉しそうに飛びついた。
「にゃんこ!……ごめんな、さみしかったか?」
抱き上げた仔猫に頬を寄せる高耶を見て、直江もようやく安堵の吐息を漏らした。





だが、幸せは長くは続かなかった。
手術を受けてからわずか一月後、高耶が胸を押さえて倒れた。完全に取り去られたはずの睡蓮の種が、高耶の体内に潜んでいて、残ったもう片方の肺に花をつけたのだ。

肺を両方取ってしまうわけにもいかず、これといった治療方法もない。
病気の進行を少しでも止めるには、部屋中を睡蓮だらけにして体内の睡蓮を威嚇し、それ以上大きくならないようにすることだけだった。

高耶にとって何よりつらいのは、水が飲めないことだった。睡蓮は水に咲く為、高耶が水を飲めば、それを栄養分として更に肺の中で大きく育ってしまう。
医師に許されたのは、一日、僅か5匙の水だけ。
しかも、室内は睡蓮を浮かべた花瓶だらけである。
目の前に水があるのに飲めない……高耶にとっては、まさしく地獄だった。
直江は心を鬼にして、自分が少しでも目を放した隙に、高耶が勝手に水を飲んでしまわないよう、細い両手をベッドに縛った。




悪いことは尚も続く。連日、シティ中の花屋から高価な睡蓮を取り寄せていた為、ついに屋敷の金庫が底をついてしまったのだ。
使用人の去った屋敷で、直江は手元に残っていたありったけの宝石や車や家財を売り払っては、睡蓮を買い続けた。

迷子になるほど広大だった屋敷は、いつしか荒れ果てて狭くなり、今ではかろうじてキッチンとバスルームと寝室を残すのみ。
だが、ついに売るべき資材はすべて底をついてしまった。




直江は睡蓮を買う為に、生まれて初めて労働を体験することになった。
とはいえ、富豪に生まれ、一度も働いたことのない直江が、簡単にマトモな職業につけるはずもなく、ありつけるのは猟銃をつくる農家の出荷作業など、あやしい仕事ばかり。



ある日、銀行が深夜金庫番を募集していることを知って、直江は1も2もなく飛びついた。前の金庫番が強盗に殺されてしまった為、変わりを探していたのだ。
当然だが、命の危険が大きければ大きいほど、受け取る賃金は高い。
夜、高耶を一人屋敷に残すのはつらかったが、室内に飾る睡蓮を絶やせば高耶が死んでしまう。
直江は来る日も来る日も、昼間、高耶につきっきりで看病する傍ら、夜は銀行の衛士の制服に身を包み、一晩中、寝ずに金塊の前に立ち続けた。





(……水)
睡蓮に埋め尽くされた寝室で、一人、直江の帰りを待つ高耶は、凄まじい喉の乾きが堪えきれず、両腕を戒める枷を外そうと試みていた。
何度も腕を引いては、枷の鍵を壊そうと無駄な試みを繰り返す。
喉の乾きは、もはや限界に来ていた。
だが、それでもやはり枷はビクともしなかった。

(直江……ッ)
高耶は直江を思って啜り泣いた。自分がこんな病気になったばっかりに、直江は財産を失い、つらい労働をしているというのに。
可愛がっていた仔猫も、この数日、姿が見えなくなっていた。でも、高耶はそれでいいと思った。
にゃんこが別の可愛いがってくれるお金持ちに拾われたなら、その方がいい。
だが、その時、がたっと物音がして、高耶が音のする方に頭をめぐらすと、ぴょんとベッドに飛び乗ってくる仔猫が目に入った。
「……にゃんこ」
仔猫はいったいどうしたのか、自分の体の何倍もある、見事な睡蓮の花束を銜えていた。
「おまえ……オレの為に取ってきてくれたのか?……ありがとうな」
本当は花屋の倉庫に忍び込み、こっそり頂いてきたのだが……高耶は微笑んで枷に繋がれた不自由な手で仔猫の頭を撫でた。
直江も子猫も自分をこんなにも心配してくれている。病に負けてはいけない。高耶は自分を叱咤するのだった。





銀行の金庫番の次に直江がありついた仕事は、人口管理局の死亡通知課だった。
文字通り、明日、死ぬ者の名前が掲載された名簿を持って、一件一件該当する家を回り、その旨を知らせる仕事である。
仕事の内容が内容だけに、万年、人手不足な上、給料も高い。

訪ねた先では、身内の死亡を通知されて、逆上した家族に殴りかかられることもしょっちゅうだったが、これも高耶の為と割りきって、直江は喪服を意味する黒いスーツに身を包み、必死で働いた。



連日、口元を腫らして戻ってくる直江を高耶はひどく心配したが、直江は心配いらないと微笑むだけだった。

死亡予定者名簿は最初は白紙だが、一件尋ね終わると、次に訪れる相手の名前と住所が浮かび上がるようになっている。
今日も行く先々で罵倒され、殴られ、直江はボロボロになっていたが、この日の仕事もあと一件のみ。
(高耶さん……もうすぐ帰りますからね)
だが、その日、最後に浮かびあがった名前と住所を見た時、直江は我が目を疑った。




全身が凍り、時が止まったような気がした。
名簿には、見なれた住所と、最愛のひとの名前がそこにあった。

その時、直江は遠くで誰かの凄まじい慟哭を聞いた。
それは、自分の声だった。





その後、自分がどうしたのかわからない。
それでも、気がつけば直江はその日の給料でありったけの睡蓮を買い、屋敷の前に立っていた。
睡蓮の花束を手に、ようやく戻ってきた直江を迎えたのは、いつもより遥かに元気そうな高耶だった。
「おかえり、直江……遅かったな」
「高耶さんッ!起きて大丈夫なんですか!?それより、枷は……」
直江は顔面蒼白になった。
自分がいない間に、高耶が苦しさのあまり水を飲まないよう、心を鬼にしていつも寝室のベッドに繋いでいたのに。
高耶は困ったように、
「……枷、なんか知らねーけど、勝手に外れたんだ。それに、なんかひさしぶりにすげー体調よくてさ。あっ、でも水は飲んでねえから……本当だって。お前がオレの為に必死で働いてるんだ。オレも睡蓮なんかに負けねえよ」
照れたように笑う高耶を、直江は抱きしめた。
「高耶さん……高耶さん、高耶さん……ッ!」





直江は時計を見た。
日付が変わるまで、あと数時間。
こんなにも確かに腕の中にいるのに、明日になれば、このひとは……
「直江……、どうしたんだよ……」
折れるほど抱きしめられて、高耶は戸惑ったように云った。
(高耶さん……!)



涙を見せてはいけない。
泣くことはない。
その時が来たら、一緒に逝けばいいのだから。



直江は心を殺して顔を上げると、つくり笑顔で微笑んだ。
「す、すみません……久し振りに元気そうなあなたを見たら……嬉しくて」
「……バカ」
「高耶さん……あなたを……今すぐ抱きたい。抱いても……いいですか?」
真摯な囁きに、高耶は照れたように微笑みながら、コクンと頷く。



部屋中を埋め尽くすほどの睡蓮の中で、ベッドに横たわり、自ら脚を折り曲げ、男を受け入れる高耶。
月に照らし出されたその顔は、まるで菩薩のように美しかった。







翌朝、まだ薄暗いうちに、高耶がにゃんこと名づけて可愛がっていた灰色の仔猫は、今は見る影もなくなった屋敷を後にした。
行くあてのない仔猫の脚は、二人が出会い、結婚式をあげたあの教会に向いていた。

(神様。どうしてあの二人を……)
そう云いたげな恨みがましい仔猫の視線を感じたのか、バツが悪そうに、屋根の上の磔の像は視線を逸らせる。

入り口の階段に座り込み、うなだれた仔猫の様子に、通りがかった黒豹が見かねて声をかけてきた。
「どうしたんだ?」
仔猫はその可愛い顔を歪ませて、
「あれ以上、二人を見ていられなくなった……オレももう、生きているのが嫌になった。あんた、悪いけどオレをかみ殺してくれないか?」
黒豹は肩を竦めて、
「おやすいご用だが……何があったか知らないが、はやまるな。話なら聞いてやるよ」



仔猫が重い口を開こうとしたその時、日が昇り、朝を告げる鐘とともに教会のドアが開いて、子供達が出てきた。
あの日、二人が出会った朝のように。

仔猫が見つめる前で、子供達は手を繋ぎ、賛美歌を歌いながら歩いていった。

END.



読んで下さってありがとうございました。
私自身、直高でせつない話は何より苦手なので(せつないから;;)アップはしないつもりでしたが「うたかたの日々」は、サイト名もここからもじったぐらい、小説も映画も大好きでして…
去年、「クロエ」と云うタイトルでリメイクされていましたが、やっぱり昔の映画版が好きです。ビデオにならないのが残念(>_<)

私が書くので、二人が×ぬシーン(>_<)はごまかしましたが(死にネタは絶対嫌なんです…><;)肺に睡蓮が咲く病に侵された高耶さんや、高耶さんの為に初めて労働する直江って云うのが美しいなあと……こんな妄想して萌える奴は多分私だけだと思いますが(^^;

また、好きな映画や小説の直高バージョンをこっそり書きたいと思ってますv
それでは、どうもありがとうございました(ぺこ