六月の蛇 mira vervion 2
重い足取りで駅まで辿りつき、JRに揺られ、十分ほどで新宿に着くと、高耶は半ば自嘲気味に告げた。
「………着いたぜ」
すると男は、わかっているとばかりに指示してきた。
『では、今から買い物に行きましょう。あなたがずっと欲しかったものですよ』
笑を含んだ意味ありげな言葉に、高耶が「何を買うんだ?」と問いかけても、直江は「すぐにわかります」と言うだけで、それ以上答えようとしない。
仕方なく、指示されるまま、東口改札脇の階段を昇って地上に出、いくつかの角を曲がると、突然人通りが途絶え、裏びれた路地に出た。
白昼だというのに薄暗い、風俗店が立ち並ぶ、見るからにあやしげな一画である。
中でも、一際目立つ派手な雑居ビルに「大人のオモチャ」と書かれた看板が出ているのが目に付く。
こんな場所でいったい何をと、怪訝な顔をする高耶に、男はこともなげに告げた。
『目の前のお店に入って下さい』
「なっ………!」
絶句した高耶に、直江は電話の向こうで微笑んだ。
『ずっと、オモチャが欲しかったんでしょう?あなたが、ちっともかまってくれない義明の代わりに、こっそりマジックを出し入れしていたのを、私は知っていますよ。オモチャがあれば、マジックなんかより、ずっと気持ちよくなれますよ』
「そんなっ………」
『あなたは男だから、ちゃんと店員さんに、アナル用のバイブを下さいって言うんですよ。すぐに使うからと言って、電池も入れてもらって下さい。………ああ、どれでも好きなのを選んでいいけれど、必ずコードレスのリモコン式のものにして下さいね』
「やだっ………そんなのいらな………」
『高耶さん。………あの写真、義明に見られてもいいんですか?』
「………!」
従うしかなかった。
高耶は震える体を叱咤して、きつく目を瞑ると思い切って店のドアをくぐった。
男性器を模した淫らな玩具がそこかしこに並ぶ中、すでに店内にいた数人の客が、真赤になって小刻みに震えている高耶に、あからさまに好奇な視線を投げかけてくる。
直江は、インカムの向こうから力づけるように、
『………大丈夫、こわくない。聞いていてあげるから、勇気を出して、さあ、店員さんに声をかけるんです。アナル用の、うんと気持ちのいいリモコンバイブはどれですか?って』
羞恥に染まった顔をおずおずとレジに向けると、中年の店員らしい男が、意味ありげな笑を浮かべながらも、「いらっしゃいませ」と声をかけてくる。
高耶はギクシャクと震える脚でレジに向かうと、掠れた声でたった今、指示された通りの言葉を口にした。
やがて、限界を超える屈辱と羞恥の果て、高耶が玩具の入った包みを店員からひったくるようにして店から駆け出してきた。
あまりのショックで過呼吸になりかけ、ついには道路脇の電柱の隅に蹲ってしまった高耶に、直江はインカムの向こうから、優しく宥めるように話しかけた。
『よく頑張りましたね………高耶さん。偉かったですよ。じゃあ、すぐに駅まで戻って、改札脇のチップトイレの個室に入って下さい』
「………ッ、」
そして、高耶が震えながら駅に戻り、指定されたチップトイレに入ると、直江はたったいま手に入れたばかりの玩具を携帯についているカメラで撮影して送るよう指示してきた。
高耶が店員に薦められるまま買い求めてきたのは、蛇を模した黒い淫具だった。
スイッチを入れなくとも、その形状を一目見ただけで、ソレがどのような動きをするかは、容易に想像がつく。
半ば自棄気味にそれを撮って男の携帯に送ると、直江は、
『おやおや。はじめてだと言うのに、随分、すごいのを買ったんですねぇ』
と嘲るように笑った。
『ちゃんと電池は入っていますね?では、今すぐ、ソレをあなたの中に入れて下さい。上から服が着られるように、しっかり根元まで入れるんですよ。ちゃんと飲み込めたら、証拠の写真を送って下さい』
「嫌だっ………そんな……ッ!」
『どうして?あんなに恥ずかしい思いをして、やっとの思いで買ってきたのに。お楽しみはこれからでしょう?』
高耶は嫌々と首を振る。
「できな………ッ、」
すると男は、それまでの子供をあやすような口調から一変して、冷ややかな声で告げた。
『………高耶さん。写真、返して欲しくないんですか?』
「………ッ、」
啜り泣きながら、高耶はジーンズを下着ごと下ろした。
いきなりは飲み込めないだろうからと、直江に指示されるまま、淫らな淫具に舌を這わせて唾液で濡らし、おずおずと細長い蛇に似たソレを自ら形のいい双丘の狭間に沈めていく。
「クッ………ア………、」
敏感な粘膜を血の通わない玩具に割られ、出したくなくても、口端から零れてしまう声。
ようやく奥まで飲み込んで、淫らな玩具を銜えた己の姿を、半ば自棄になって携帯カメラで撮って送ると、男は『いい子ですね』と微笑んだ。
『じゃあ、そのまま服を着て、自宅のある駅まで戻って下さい。リモコンは、今入っているトイレの棚の上に置いて出て下さい』
―――もう、どうにでもなれと思った。
言われた通り、棚にリモコンを置き、チップトイレを出、ぎこちない足取りでエスカレーターに乗ると、まもなくホームに電車が滑り込んできた。
座席はところどころ空いていて、本当は立っているのもつらかったが、玩具を奥深く飲み込んだ体では、とても腰掛けることなどできなかった。
ドア脇のバーに掴まり、崩れそうな膝を叱咤して、あと一駅で自分の住む駅に着くと言うところで、それとわかるほど小刻みに体を震わせている高耶を見かねたのか、中年の女性が心配そうに声をかけてきた。
「あなた、大丈夫?具合が悪いんじゃないの?顔色が真っ青よ。駅員さん呼びましょうか?」
「いえ、大丈夫です………」
なんでもない、と言いかけた体が、次の瞬間、感電したかのようにビクンと跳ねた。
突然、何の前触れもなく、体内の玩具が暴れ始めたからだ。
この電車のどこかにあの男が乗っていて、玩具のリモコンスイッチを入れたに違いなかったが、今の高耶にそれを確かめにいく気力はなかった。
インカムの向こうで直江が囁く―――義明と同じ、あの声で。
『気持ちいい?高耶さん………』
「ヒッ………!」
淫らな囁きに、全身をゾクリとするものが駆け抜ける。
まるで、生きた蛇のように激しくうねりながら振動する玩具の刺激に耐え切れず、出したくなくても上がってしまう淫らな呻き。
「やめ、………なおっ………ア………!」
その時、ようやく電車がホームへと滑り込んだ。
ドアが開くのももどかしく、何事かと目を丸くしている中年女性や、車内にいる者の視線から逃れるように、高耶はホームへ飛び出し、這うようにして階下のトイレの個室へと逃げ込んだ。
直江は容赦しなかった。
『………いやらしいひとだ。他のひとが見ている前で、あんなによがって、あんなにいやらしい声を出すなんて』
高耶は泣きながら首を振った。
「やっ………、も、なお………ッ」
『そんなに気持ちいいの?高耶さん………オモチャに犯されて、あなたのかわいらしいぼうやがパンパンになっていますよ。ほら、ジーンズを下ろして、思い切り擦ってごらんなさい?』
「も、やめ………アアッ………」
―――我慢できなかった。
言われるままジーンズを下ろし、震える手で、後ろへの刺激ですっかり勃ちあがってしまったものを、高耶は泣きながら扱いた。
「ひっ、………ク、アア―――!」
掌に、しろいものが吐き出された瞬間、玩具はずるりと抜け落ちたが、高耶の体液で淫らに濡れそぼったそれは、床に落ちて尚、蛇のようにあやしく蠢き続けていた。
「………ク、………ア………」
力なく、洋式トイレの蓋の上に、崩れるように座り込んでしまった高耶に、直江が告げた。
『今日のところはこれで許してあげますよ………そのオモチャは、私からのプレゼントです。後でリモコンを郵送しますから、しばらくそれで楽しむといい―――また連絡します。ああ、いつでも私の言うことが聞けるように、この携帯の電源は切らないで下さいね。………では、気をつけて帰って下さい』
「ま………待てよっ!ネガ、返すって……!」
すでに通話は切れていた。
ツー、ツー、という音を聞きながら、高耶は茫然と身を震わせ、掠れた声をあげて泣いた。
***
翌朝、玩具のリモコンが例の封筒で届いたが、やはりネガは同封されておらず、直江からの連絡もなかった。
義明は相変わらず、研究が忙しいとかで、留守電にメッセージは入っているものの、週末も自宅へは戻れそうにないと言う。
義明に、心の中で助けてくれと叫んでも、無論その声は届かない。
鳴らない電話に縛られる日々―――募る孤独。
このような状態では、当然、仕事も身に入らず、オフィスを直接訪れた客から相談を受けても、相手の言葉が素通りする始末だった。
こんな自分には到底、カウンセラーの資格などない。
そして、それから更に一週間が過ぎた夜八時過ぎ。
いつものように、仕事を終えた高耶が、誰もいない自宅に戻ると、その時を待っていたかのように、あの携帯が鳴った。
『………おかえりなさい、高耶さん』
義明そっくりのあの声が告げる。
「ネガはっ………返すって言ったろ!いつ返すんだよ!」
電話口で高耶はわめいた。
『おやおや。久しぶりに話せたと言うのに、随分つれないひとですね』
直江はクスクスと笑って、
『心配しなくても、あなたさえいい子でいれば、後でちゃんと返してあげますよ。それより高耶さん。この前、あんなに恥ずかしい思いをして、やっとの思いで手に入れたオモチャなのに、ぜんぜん遊んでないでしょう。………そろそろ、欲しくなった頃なんじゃないですか?』
「なっ………!」
高耶はたちまちカッと顔を赤く染める。
『どうせ、今夜も義明は戻らないんでしょう?だから、代わりに私が可愛がってあげますよ。………あのオモチャとリモコンと、この携帯を持って、今すぐ屋上に上がって下さい』
「もう、やめ………!」
『義明に、知られたくはないでしょう?』
「―――畜生………ッ、」
羞恥と屈辱に唇を切れるほど噛み締めながらも、従う以外ない高耶は、シャツの胸ポケットに携帯を突っ込み、インカムをつけ、言われた通り、あの淫らな玩具とリモコンの入ったビニールバッグを手に、屋上に出た。
***
広い屋上の隅を占める、ガラス張りのサンルーム。
高耶がこの家で最も好きなその場所で、直江はインカムの向こうから、シャツ以外の衣服をすべて脱ぐよう命じた。
躊躇う高耶に、男は苦笑しながらも甘く叱咤する。
『………前にその場所で一人遊びをした時は、躊躇いなく脱いだくせに。今更、恥ずかしがらないで………ほら、早くスラックスを脱いで、下着も取って』
「………ッ、」
悔しさに、端正な顔を歪ませながらも、高耶は仕方なく言われた通りにした。
『………いい子ですね。そうしたら、シャツは脱がなくていいですから、ボタンだけ外してはだけて下さい。あなたのすべてが見えるように』
震える指先で、シャツのボタンを外しながらも、高耶はそれとなく周辺のマンションやビルに視線を送った。
直江がこの近くのどこかの建物から、自分を見ていることだけは間違いない。
(畜生………ッ!何処にいるんだよ………)
大きくシャツをはだけ、全裸同様になった高耶に、男は静かに告げた。
『―――綺麗ですよ、高耶さん。さあ、そうしたら、オモチャを出して………後はどうするかわかりますね?あなたがイクまで見ていてあげる。好きなだけ、シテごらんなさい?』
義明そっくりのあの声が、インカムの向こうから淫らに囁いた。
この姿も、きっとまた、写真に撮られているのだろう。
直江はおそらく、写真を返す気などないのだ。
(ああ………)
この男から、逃げられない………。
高耶は一人、涙を零しながら、おずおずとベンチの上に膝をついた。
淫らな玩具を、自らその身に受け入れる為に。