†Introduction


貧富の差が激しいとある国。
ストリートチルドレンの高耶は、妹と二人、必死に生きていた。


捨て子の高耶達兄妹は、国営の養護施設で育てられたが、そこはあまりに酷いところだった。孤児の人権などないに等しく、院長や職員達の暴力に耐えかね、妹の手を引いて逃げ出したのが、一年前。

市民IDも持たず、ロクに教育も受けたことがない少年にマトモな仕事などあるわけがなく、生活の糧はすべて盗みでまかなった。別に悪いとは思わなかった。
盗みが悪いと云うなら、他にどうして生きろと云うのだろう。



ある日、第一級市民専用の居住地区に潜り込んだ高耶は、たまたま停められていたダークグリーンの高級車の中に、バッグが置きっぱなしになっているのを見つけた。
車を狙うのは危険だとわかっていたが、目の前のこれを見逃す手はない。
辺りを見回し、人気のないのを確認した上で素早くキーを壊し、バッグを掴んで逃げた。


路地に逃げ込むと、すぐに中身を物色する。
高耶の顔に、快心の笑が浮かんだ。バッグの中には、これまで見たこともないほどの大金が無造作に入っていたのだ。
アシがつかないよう素早く現金を抜いて、あちこちの上着のポケットに突っ込み、バッグはその場にあったトラッシュボックスに投げ捨てる。

もうすぐ冬が来る。この国の冬は厳しい。この金さえあれば、妹に暖かなコートを買ってやれるし、栄養のあるものを毎日食べさせてやれる。
うまく行けば闇市で、妹の分だけでも市民IDを手に入れることができるかもしれない。
できれば高耶は、妹にだけは盗みなどさせずに、マトモな暮らしをさせてやりたかった。




この日の仕事も完璧だった。
だが、いつもは完全に日が落ちてから、闇に紛れて住処へ戻るところを、一刻も早く妹の喜ぶ顔が見たくて早く帰ろうとするあまり、高耶は注意を怠ったのだ。

気づいた時は遅かった。
突然、現れた黒服の男に、高耶は逃げる間もなく腕をきつく捕えられていた。

「放せよっ!」
もがく腕を、男は背後で捻り上げる。
「ああっ!」
苦痛のあまり、上がる悲鳴。折られる、と思った。

「おやおや……車を壊してバッグを盗むなんて、いったいどんなに悪い子かと思えば、随分と可愛い顔をしている」
男は嫌がる高耶の顎を掴んで覗き込むと、クスクスと笑った。

「……名前は?」
問い掛けられて、高耶はキッと男を睨み付けた。
再び、折れるほどの勢いで腕をねじ曲げられ、苦痛のあまり、凄惨な悲鳴が上がる。
「アアーッ!」
「利き腕を折られて、盗みができなくなってもいいの?困るでしょう?質問にはちゃんと答えないとね。もう一度聞きますよ。あなたの名前は?」

あまりの苦痛に、高耶は声を絞り出す。
「……タ、カヤ…ッ」
「何、タカヤ?」
「お、仰木……高耶だよッ!もう、いいんだろ、腕、放せよっ」

男は微笑って、ようやく腕を捩る力を少しだけ弱めた。
だが、もちろんその腕は逃れられないよう、しっかりと掴まれたままだ。
「そう。オウギタカヤ──高耶さん、ですか。いい名前ですね……それに、すごくいい目をしている。気に入りましたよ……高耶さん。あなたが盗んだお金はね…」

男が高耶の上着のポケットから盗み取った大金の束を翳して、尚も言葉を続けようとした時、消え入りそうな少女の声が背後から呼んだ。
「お兄ちゃん…!」
高耶はハッとして声のする方に振り返った。
「美弥ッ、」

妹が立っていた。帰りが遅い自分を心配して探しに来たに違いない。
高耶は咄嗟に妹のところへ駆け寄ろうとしたが、男にきつく体を押え付けられ、叶わなかった。
「あなたの妹さんですか?兄妹揃って、可愛らしい」
「美弥ッ、いいから逃げろッ!畜生、放せ!!」
死にものぐるいで暴れても、大人の力にかなうはずがなく、高耶は再び腕をねじ曲げられて悲鳴を上げた。

「お兄ちゃん!」
少女が悲鳴をあげる。
「無駄ですよ。暴れないで。痛い思いをしたくなければ、じっとしていなさい」
男は楽し気に笑った。
「美弥さん、ですか?」
急に話しかけられて怯えながらも頷く少女に、
「あなたのお兄さんは、私の車の鍵を壊して、お金を盗んだんですよ。悪いことをしたら酬いを受ける。そのぐらいはわかりますね?」
「お金は返します!何でもしますから、お兄ちゃんを赦して下さい」
泣きじゃくる少女に、男は優し気な笑を向けた。
だが、その口から発せられた言葉は、暖かな口調と裏腹に酷いものだった。

「あなたのような可愛らしい女の子が、気安くなんでもする、なんて云ってはいけませんよ。それに、あなたのような子供が気軽に口にできるような言葉じゃない。そうでしょう?あなたにいったい何ができますか?」

男の言葉に、打ちのめされたように立ち尽くす少女に、男は優しく微笑んで、
「あなたのお兄さんが盗もうとしたお金は、新しいペットを買う為のお金でね。でも、お兄さんに車を壊されてオークションに間に合わなくなってしまった……だから、お兄さんに責任を取ってもらうことにしたんですよ」

それを聞いて、高耶の顔色が変わった。
「何云……ッ、」
「美弥さん。お兄さんをお預かりする変わりに、このお金はあなたにお支払いしましょう」
男は笑って、高耶の上着に無造作に突っ込まれていた札束を取り出すと、少女に差し出した。
「受け取りなさい。これだけのお金があれば、闇市で市民IDも手に入れられるでしょう。IDがあればちゃんとした生活もできるし、学校にも行ける。いいですか?もう二度と盗みなどしてはいけませんよ」

高耶は唇を噛みしめた。妹はまだ十二歳だ。一人にするのは不安だった。
だが、自分が一緒にいても、毎日食べるのが精一杯の生活だ。
この金さえあれば、美弥一人なら、充分生活していくことができる。

「美弥、受け取れ。オレは大丈夫だから」
口を開いたのは高耶だった。
「お兄ちゃん!?」
「お前はオレの妹だ。オレがいなくても、一人でもちゃんとやっていけるな?オレのことは心配するな」
高耶は安心させるように、にっこりと微笑んだ。

「決まり、ですね」
男は笑い、少女の胸元に札束を押し付けると、高耶を連れてハイヤーの中に消えた。

BY 417