「暗殺者・中編」
BY 椎名
男にエスコートされるように屋敷内へと足を踏み入れた高耶は、地下のとある一室へと案内された。
黒を基調にしたつくりつけのカウンターバー、イタリア製と思われるソファと調度品、黒いカバーのかけられた重厚なベッド。照度を落としたダウンライトが、いかにもこの男が好みそうな、モダンで洗練された室内を照らし出す。
「大丈夫ですか?……ここに坐って。今、水を持ってきますから」
高耶を半ば強引にベッドに坐らせ、橘はカウンターバーの冷蔵庫から、冷たく冷えたミネラルウォーターのガラスボトルを手に戻ってくると、キャップを開けて差し出した。
「飲むといい。……落ちつきますよ」
促されるまま、ボトルを受け取って冷たい水を飲み干す端正な顔を見つめ、男が呟く。「……あなたは怖くないんですか?」
「何が」
「こんなところに連れて来られて……俺と二人きり。あなたにはもう、逃げ場がないというのに」
すると高耶が鼻で笑い、
「あんた……橘サンだっけ?なんつーか……本当、変わってるよな。あんた、人殺して金もらってんだろ?それが、飯食わねえと体に毒だとか、怖くないんですかとか」「……直江ですよ」
不意に投げかけられた言葉の意味がよくわからず、怪訝そうな顔をする高耶に、男はやわらかく微笑んだ。
「『橘義明』は偽名なんです。私の、本当の名前は直江と云います。できれば、直江と呼んで頂けると嬉しいのですが」
すると、それを聞いた高耶がまたクックッと笑った。
「……あんた、相当なタラシだな」
「どうしてです?」
高耶は、自分の脇に投げ出されている花束を顎で示して、
「この薔薇と云い、いつもそうやって、クライアントを落としてから殺すのか?」
「まさか。本名を教えたのはあなたがはじめてですし、それに、あなたでなければ、こんな手間はかけませんよ」
真顔で云う男に、高耶はあきれたように、
「あんた、どうかしてんじゃねえのか?クライアントが女なら、あんたのその顔とその台詞だけでイチコロだろうが、あいにくオレは男だぜ?」直江は黙って微笑んでいる。
「それが、どうしましたか?」
「はあ?」
「これでも、ようやく逢えたあなたを、誠心誠意、口説いているつもりなんですが……私の思いは伝わりませんか?」
高耶は一瞬、あっけに取られたように男を見たが、やがて、憮然とした表情で、怒ったように云った。
「あんた。オレをからかってんのか?」
「とんでもない。大真面目ですよ」
「じゃあ、あんた……もしかして……」
すると直江は苦笑したように、
「いいえ。同性に告白したのはあなたがはじめてですよ、高耶さん」
「あのなあ!」
高耶は怒って、男を睨みつけた。
「オレはそういう冗談は嫌いだ。あんた、オレがガキだと思ってバカにしてるんだろ。もう、いい。くだらねえ馴れ合いは終わりだ。いいから、ぐだぐだ云ってねえで早く殺れ!」(……このひとは……)
きっぱりと云い切った高耶を、直江はしばらく無言で見つめていたが、やがて、その鳶色の瞳に悲しげな色を浮かべて、
「そんなに死にたいんですか、あなたは……」
と呟いた。……仕方ありませんね。
「いいでしょう。望みを叶えてあげますよ」
男は深いため息をつくと、コートのポケットから手錠を取り出して、高耶にベッドに横になるよう促した。
「横になって。両腕を頭の上に置いて下さい」
「……オレは別に、暴れたりはしねえ」
不服そうな高耶に、男は黙って首を振る。
「どうでしょうね。今はそんな風に云っていても、苦しくなればあなたはきっと暴れますよ。こちらとしても、いざと云う時に抵抗されて、仕事の邪魔をされては困りますからね。願いを叶えてほしいなら、云うことをきいて下さい」今まで、多くの人間を彼岸に送ってきた男が云うのだから、それはそうかもしれないと、高耶は黙って云われた通りにした。
直江は投げ出された高耶の手を取ると、恭しいと云った手付きで、片方づつベッドヘッドに手錠で繋いだ。ずっしりと重い手錠の感触は、少年院以来だと自嘲しながら、いよいよこの時が来たのだと、高耶は思う。
(美弥……)ベッドに繋がれ、静かにその時を待つかのように、眼を閉じる高耶を見下ろして、直江は薄く微笑んだ。
「覚悟はいいようですね……あなたは、素直ないい子だ」
男の手には、いつのまにか銀色にきらめくバタフライナイフが握られている。
直江は無抵抗の体に覆い被さると、冷たく光る鋭利な刃を高耶の頬に押し当てた。細い体が強張るのを感じて、男は眼を細める。
直江は、傷つけないよう慎重に、寝かせた刃で細い首筋をそっと撫で上げた。
いくら覚悟はできていると云っても、皮膚に感じる刃の冷たさに、無意識に震える耳朶に、男は甘く囁く。
「……残酷に、無様に。……それがあなたの望みでしたね。今、叶えてあげますよ」「ああ……いいぜ」
殺れ。
呟く高耶の眼が、男の片手で覆われた次の瞬間、シャツの襟元から差し入れられたナイフが一気に振り下ろされた。
***
予想された、鋭利な刃が皮膚を裂く激痛は、いつまでたってもやってこなかった。
紙のように襟元から裾まですっぱりと、無残に裂かれたシャツの下、露になった体にはかすり傷ひとつない。
高耶は怒りと戸惑いと安堵が入り混じったような眼で、自分に乗り上げ、静かに見下ろしている男を見つめた。「……どう云うつもりだよ……」
男は、その鳶色の瞳に哀れみとも悲しみとも取れる、複雑な色を浮かべて、
「たいした度胸ですね。今まで、多くの人間の死に際を見てきましたが、あなたのようなひとははじめてですよ。オウギタカヤ……いったい、何があなたを、そこまで追いつめたんです?」
その問に、高耶は苛立ちを隠しきれないと云った口調で、
「まだそんなこと云うのかよ。あんた本当に殺し屋か?オレは殺してくれるよう、依頼したんだ。あんたの組織と契約書も交わしたし、第一、オレが死んで遺体が発見されなければ、あんたらに報酬は入らないんだぜ?」すると、男は微笑んで、
「……これですか?」
と告げると、コートの胸ポケットから一通の白い封筒を取り出し、中身を翳して見せた。
それは、高耶と組織の間で密かに交わされたあの契約書だった。
あろうことか、すでに保険会社に提出されているはずの、組織が受取人となっている高耶の生命保険の申し込み用紙まで添えられている。
「……なんで……」
戸惑う高耶の目の前で、男は徐にそれらを破り捨て、にっこりと微笑んだ。
「これで、契約はなかったことになりますね」
高耶は眉を釣上げた。
「……どういうことだよ……」
すると直江は、ベッドに横たわる高耶の頬に触れ、諭すように話しはじめた。「政治、経済、警察、公安、大手と呼ばれるあらゆる企業や、私達のような地下組織。どんな世界にも裏がある。……例えば、あなたはこのまま失踪者となる。あなたの担当だった保護司や弁護士は、心配してあなたを探すでしょう」
「……」
「あなたと歩く私を目撃した人間は大勢いるから、メディアで呼びかければ、すぐに情報が集まるに違いない。でも、彼らがどれほど訴えたとしても、あなたの失踪が公に報じられることはない。それが、少年院を出たばかりのあなたの人権に配慮して報道されないのではない、と云うのはわかりますね?それに……」
男は自嘲するように微笑んで、
「どんな組織にも、黒幕というものがいましてね」その言葉の意味を察した高耶は、瞬きするように男を見た。
「……まさか……あんたが……?」
直江は微笑んで、
「依頼があった時点で、まずは専門の担当者が、そのクライアントのことを徹底的に調査することになっています。その人物の家族構成や職業、交友関係、ありとあらゆることをね。そして、そのデータはすべて私のところに送られてくる。あなたのファイルを開いて、あなたの写真を見た時から、私はあなたにひかれてしまった……自分でも信じられないぐらいに」うっとりと微笑む男に、高耶は言葉もない。
「この依頼が、あなたでなかったら、あなたの願いはとっくに叶っていたでしょう。あなたは今頃、望み通りの死を迎え、無残な姿を晒していたはずだ」
「……」
「あの日、オフィスを訪れたあなたと開崎とのやりとりを、私は別室のモニターで見ていた。そして、確信したんですよ。このひとは、私のものだと」
「あんた……何云……」
こんな自分の、いったい何がいいと云うのだろう。自分に対して、異常な執着をみせる男に、高耶ははじめて恐怖を感じた。「一日も早く、あなたを迎えに行きたかったのですが、さすがに、家庭裁判所からあなたの調停記録を手に入れるのに、少々手間取ってしまいましてね……待ちくたびれたあなたが、自殺してしまわないか、冷や冷やしましたよ」
男は、微笑をおさえると真顔になって、
「記録によれば、当時中学二年生だったあなたは、二つ年下の妹と父親を自宅で殺した上、証拠を消す為に灯油をまいて放火したとある。当初は普通の少年院に入ったが、毎晩、パニック発作を起こす為に、ついには医療少年院に移送されたとありますね。あなたを怯えさせて、そこまで追いつめたものとは、なんなんです?」問いかける視線から、高耶が逃れようとするのを男は許さなかった。
細い顎を押さえ、間近に覗き込んで、
「仕事柄、その人間が本当にひとを殺したことがあるかどうか、眼を見ればわかる。こんな綺麗な眼をしたひとが、まして自分の家族に手をかけるなんてありえない」
直江は尚も背けようとする顎を掴むと、問い詰めた。
「あなたを担当した色部という弁護士も、あなたの無罪を信じていたようだ。でも、あなたは自分がやったと云って譲らなかったそうですね……いったい、なぜです?どうして、犯してもいない罪を被って、少年院に入ったりしたんです?」
「殺したんだっ!オレがやったんだよ!」叫ぶ声がうわずっている。
恐らく、高耶には、自分がどれほど無残に殺されるよりも、事件の真相を暴かれることの方が、よほど苦痛なのに違いない。いったい何がこのひとをそこまで追いつめたのか……それを思うと、痛ましくて胸がつぶれそうになる。
だが、それでも、男は高耶のすべてを知らずにはいられなかった。「仕方ありませんね……まだ未成年のあなたに、あまり使いたくはなかったんですが」
男は、一度、のしかかった体から身を起こすと、スーツの内ポケットから黒い皮のケースを取り出した。
中に入っていたのは、注射器と何かの薬剤のボトルだった。
慣れた手付きで注射の準備をする男に、高耶は怯えたように眼を見開いた。
「何……」ナイフを翳された時よりも、明かに動揺しているように見える高耶が痛ましい。
だが、心を殺して、男はわざと平静を装い、揶揄るように云い放った。
「さっきまで、あんなに早く殺せと騒いでいたひとが、今更、注射が怖いんですか?」
その言葉に、高耶は悔しげに唇を噛み締めたが、直江は構わず、先ほどのナイフで片方のシャツの袖を切り裂くと、手早く戒められた腕の内側を消毒し、躊躇いなく注射器の針を突き刺した。男が思った通り、煽られたことで意地を張っているのだろう、強引に差し込まれた注射針から、薬液が体内に静かに入って行く間も、高耶は抵抗しなかった。
慣れた手付きで注射を終えると、男はクスッと笑って、
「いい子ですね。ご褒美に、今、あげた薬が何か、教えてあげますよ。テレビや映画で見たことがあるでしょう。自白剤……とでも云いましょうか。嘘つきのこのお口から、すべてを吐かせるお薬ですよ」
その言葉に、高耶の端正な顔が見る間に青ざめる。
「なんて顔をするの?……オウギタカヤ。あなたというひとは……本当にそそりますよ。あなたのすべてが知りたくて、たまらない」
強張った体に、男は、甘く囁く。「この体に……あなたに。もっと苦痛だけでなく、いろいろなものをあげたくなる」
男の手が、ジーンズにかかり、そのまま下着ごと膝まで下ろされる。
「やっ……め……」
やめろと叫んだつもりだったが、すでに言葉にならなかった。投与された薬剤の効果は劇的だった。
視界にもやがかかるのと同時に、強張った全身から一気に力が抜けていき、指の一本すら、すでに動かすことすらできない。
まるで催眠状態にあるように朦朧とした視界に、自らもスーツを脱ぎ捨て、再び覆い被さってくる男が、スローモーションのように映る。生まれてはじめて重ねたひとの肌の熱さに怯えながらも、逃れることもできず、弛緩した肢体をあられもなく晒す耳朶に、男の声だけが呪文のように響いた。
「……高耶さん……答えて?お父さんと妹さんが亡くなった日。いったい何があったんです?」
「あ……」
虚ろに見開かれた双眸から、スッと涙が零れ落ちた。
To Be Continued...
あああ、ごめんなさい;
一気にラストまでUPするつもりが、時間がなくて掟破りの中編です;「早くヤれ」と高耶さんも云ってることですし、次はヤります(爆)
今度こそ後編ですので(笑;待っていて下さいですの(^^;)