「暗殺者・前編」



BY 椎名


 

東京郊外にある医療少年院を出、保護司の元で寝起きし、あてがわれた職場で黙々と働きながら、十ヶ月にも及ぶ監察処分がようやく終わった時、高耶は十八歳になっていた。

身よりのない高耶の為に、保護司が身元保証人となって職場の近くに借りてくれたアパートの一室で、高耶は一人、旧式のノートパソコンに向かっている。
このパソコンも、テレビも冷蔵庫も、部屋にあるものはみな、世話になっている職場の人間の好意で譲ってもらったものばかりだ。

高耶が先ほどから熱心にアクセスを試みているのは、とある組織のサイトだった。通常の検索エンジンでは決してひっかかることのない、「アンダーグラウンド」と呼ばれている地下サイトである。

うろ覚えだったアクセス方法を何度も試した末、ようやく辿りついたそのページには、小さくメールアドレスと携帯電話の番号が印されているだけで、他にメッセージらしいものは何も書かれていない。
高耶はそのアドレスとナンバーを手元に控えると、パソコンの電源を切った。



高耶がこの組織の存在を知ったのは、少年院にいる時だった。
監視の目を盗み、数人の少年達が興奮気味に話していたのを、偶然耳にしたのだ。
彼らの話によれば、その組織は多額の報酬と引き換えに、自分、または希望する誰かの命を確実に奪ってくれるのだと云う。
殺害方法はクライアントの望み通りで、その成功率は100%とのことだった。

まるでマンガのような話だ。
……くだらねえ。
その時はそう思ったのだが、その話は長い間、高耶の頭を離れなかった。



自殺では生ぬるい。
それが、高耶が自らの抹殺を思いとどまらせてきた唯一の理由だった。
ビルやマンションの屋上から、飛び降りた果てにもたらされるあっけない死では、到底己の罪は贖えない。
この組織が、本当に殺人を請け負っているのか、それはわからないが、例えこれがインチキや詐欺の類であっても、かまうものかと高耶は思った。



組織とコンタクトを取った翌日から、高耶は誰かに見張られているのを感じた。
朝、起きて、アパートを出て職場に向かう間も、仕事を終えて再び自宅に戻る間も、確実に見られていると云う感覚があった。

非合法に殺しを請け負う組織である。高耶がクライアントとして相応しいかを、調べているのかもしれない。
少年院を出て、保護監察が終わったばかりの身では、もしかしたら審査の段階ではねられてしまうかもしれないと思ったが、それから十日が過ぎた頃、高耶のアドレス宛に一通のメールが届いた。

『ご依頼の件、承りました。
仰木様のお気持ちが今も変わらないようでしたら、以下の番号までご連絡下さい。お待ちしております。 
090-××××-×××× 担当・開崎』

メールには、とても丁寧な文章でそう書かれていた。
(……仰木様、か)
あくまでも『ビジネス』として対応する彼らに、高耶は思わず苦笑せずにはいられなかった。





その週の金曜日、仕事を終えた高耶は目黒駅に降り立った。
面会先に指定されたオフィスは、長い坂を降りて、川沿いを一歩入った路地にある、目立たないビルの中にあった。
ダミーと思われる社名の掲げられたガラス張りのエントランスをくぐると、視界に飛び込んでくるのは、閉ざされたエレベータの扉と、監視カメラである。
高耶が指定されたフロアのインターフォンを押すと、すぐに男の声で応答があり、エレベータに乗るように促された。

ゆっくりとエレベータが上昇し、やがて扉が開くと、古びたビルの外観からは、想像できないほど、洗練されたインテリアのフロアに着く。
ごく普通のオフィスのように設置されている、生花の飾られた受付の前でしばらく待っていると、すぐに奥からファイルを手にした、三十代前半と思しき、一人の男が現れた。

「……仰木様、ですね。開崎です。どうぞ、こちらへ」
開崎はファイルを片手に、高耶を応接室へと促した。
きつくスーツを着込み、髪を後ろへと撫でつけ、淵のない眼鏡からこちらを覗く黒い瞳が、少し神経質そうではあるが、いかにも有能なビジネスマンと云った印象である。

開崎は高耶をソファへ促し、テーブルを挟んだ向かいのソファに自らも腰掛けると、ビジネスライクな口調で切り出した。
「本日は本契約にいらしたと云うことで……よろしかったですか?」
「……ああ。そのつもりで来た」
「仰木様の場合、ターゲットはご自分。当社への報酬はご自身の保険金で、ということですので、本契約を交わされた以降のキャンセルはできませんが……本当によろしいですか?」
「ああ」
念を押すような問にも、乾いた声で、躊躇いなく答える高耶を前に、開崎はその瞳に、僅かに痛ましげな色をたたえて、手にしていたファイルから数枚綴りの書類を取り出して広げて見せた。

「今から具体的に、どのような形でご依頼に応えさせて頂くか、仰木様のご希望をお聞きします。その後で、こちらの契約書に目を通して頂き、ご納得頂けましたら、署名ご捺印を頂きます。本契約終了後は、ただちにご依頼を実行する者の人選に入りますが、やはり、相応の準備期間は頂くことになります」

どのぐらいかかる?との高耶の問に、
「具体的には、保険会社との兼ね合いもございますので、やはり数ヶ月はお待ち頂くことになるかと……尚、仰木様のケースはターゲットがご自身で、合意の上ですので、不意打ちのような形はいたしません。派遣者と会われた上、仰木様ご自身が、派遣者にご命令をされた時点でのご依頼の執行となります」

黙って説明を聞いている高耶に、開崎はふと哀れむような視線を向けた。
「まだ、お若いあなたのことです。……本当に、よろしいのですか?お気持ちは変わりませんか?」
まるで、今ならまだ間に合うといわんばかりの開崎を、高耶は不思議そうに見つめる。人を殺して報酬を得ている組織の人間から、そんな言葉を聞くとは思いもしなかった。

高耶は怪訝そうに、
「どうしてそんなことを聞く?」
「……お気を悪くされたら申し訳ありません」
開崎は、まだ若い高耶を気遣っているようだったが、高耶は薄く微笑み、首を振っただけだった。
「……そうですか。かしこまりました」
高耶の意志が固いことを悟ったのか、開崎はビジネスの顔に戻って、
「派遣者のタイプに、何かご希望はございますか?何でも仰って下さい。性別、外見から年齢層など、できうる限り、ご希望に添わせて頂きます」

その問にさえ、高耶はあっさりと応える。
「どんな奴でも構わないさ。だが、ひとつだけ注文がある」
「なんでしょう?」
「……できるだけ残酷に、無様に殺してくれ」
開崎は、無言でメモを取っていたが、やがて静かに云った。
「何度も申し訳ありませんが、あなたのようなひとが、いったい何故……」
すると、高耶は自嘲するような笑を見せた。

「オレには、それが相応しいからだ」





あのオフィスを訪れた日から、一週間が過ぎた後、開崎から高耶の携帯宛てに一本の電話が入った。
『あなたのご依頼を担当する者が決まりました。橘義明と云う者です。橘は現在、別件で国外におりますので、すみませんが今しばらく、お待ち下さい。彼なら、必ずあなたのご要望にお応えできるでしょう。橘は、待つ価値のある男ですよ』

電話を切った高耶は、まだ見ぬ暗殺者に思いを馳せた。
橘義明……いったい、どんな男なのだろう。
報酬と引き換えに命を奪う、残酷な死神。
高耶はただひたすら、自らの願いをかなえてくれる男が現れるのを待った。





開崎の電話から一ヶ月が過ぎたある休日のことだった。
特にあてもなく、新宿駅へと降り立った高耶は、ふと、改札脇で壁に寄りかかるように佇んでいる一人の男に目を止めた。

男は190cm近くはあろうかと云う長身を黒いコートで覆い、まるで映画や雑誌から抜け出た俳優のように、端正な顔をしていた。おそらくは恋人を待っているのだろう、その手には100本はあろうかという、大きな深紅の薔薇の花束を抱えている。
だが、高耶が男の脇を通りすぎようとした時、あろうことか、男は高耶に向かってやわらかな微笑を投げかけてきた。
「……!」
その鳶色の瞳と目があった瞬間、高耶は直感でこの男が橘だとわかった。あまりにも予想外ではあったけれど、間違いない。

男は、声もなく立ち尽くしている高耶の方へ、まっすぐ歩み寄ってきた。
次いで、微笑とともに差し出される深紅の薔薇の花束。
驚きのあまり、茫然とそれを受けとってしまってから、高耶は周囲の視線を感じて、ようやく我に帰ったように真赤になった。
男は行き交う人の好奇の視線をものともせず、にっこりと微笑む。

「……思った通りですね。あなたには、深紅の薔薇がよく似合う」
男が男に薔薇を贈るというその行為だけでも、相当人目を引くと云うのに、まして、その相手がこれだけ目立つ男とくれば尚更だ。
遠慮なく投げつけられる好奇の視線に、高耶は紅くなりながらも、おずおずと云った。

「……あ、あんたが……橘さん……なのか?」
「……はじめまして、高耶さん。ようやくお会いできましたね」
橘は、おだやかに微笑みかけてくる。
高耶は、それでもまだ、にわかには信じられないとでも云うように、まじまじと橘を見てしまった。男は苦笑して、
「……どうしました?私の顔に、何かついていますか?」
「いや、別に……そんなんじゃねえけど」
どうにも調子が狂う。まさか、こんな形で暗殺者と出会うとは、思いもよらなかった。

できる限り残酷に、無様に殺してほしいと云う依頼をした高耶である。
おそらく、映画に出てくるような、血に飢えたいかにも殺人鬼と云う感じの人間が送られて来るとばかり思っていたのに……だが、こういう一見、マトモそうに見える者ほど、実は危険だったりするものだ。

「……遅かったじゃねえか。来ねえのかと思ったぜ」
内心の動揺を押さえようとしているのか、薔薇を受け取ってしまったことへの照れ隠しなのか、殊更ぶっきらぼうに答える高耶に、橘はおだやかに云った。
「お待たせしてしまったなら、申し訳ありませんでした。別件でしばらく国外にいたものですから……あなたのことは、今後、高耶さんとお呼びします。よろしいですか?」

橘はとても丁寧な口調で話しかけてくる。
それはそうだろうと高耶は一人ごちた。明かに一回りは年下とはいえ、自分は橘にとって、れっきとしたクライアントなのだから。

橘は、「失礼します」と云って、コートの胸ポケットから黒い携帯電話を取り出すと、オフィスに電話を入れた。そして、たった今、クライアントと接触したことを告げた上で、その携帯を高耶に向かって差し出した。
「……開崎です。どうぞ」
だが、高耶は黙って首を振る。
「よろしいですか?」
黙って頷く高耶に、橘は通話を切ると、携帯を再びコートのポケットへと仕舞い込んだ。

想像もしていなかった出会いではあったが、いよいよ、待ち望んだこの日が来た。
高耶に恐怖はなかった。
むしろ、これでようやく、楽になれるのだと云う安堵に満ちていた。
(美弥……)
今は亡い、妹を思う。
これでようやく側に行ける。
勿論、楽には逝かないから。それがお前を守れなかったオレへの、せめてもの罰なのだから。

それにしても……。
別件で国外にいたと云ったが、橘の仕事といえば、暗殺以外に他ならない。高耶はそれとなく男の様子を伺ったが、おだやかな笑を浮かべている橘の鳶色の瞳からは何の感情も読み取ることはできなかった。

本当に、この男の手は血に濡れているのだろうか?
望みをかなえてくれるのだろうか?


思いに囚われる肩に、橘がさりげなく腕を回して、歩くように促す。
「……ここは寒いですね。場所を変えましょう」
何処へ?と、問いかける暇もない。
自ら依頼したとはいえ、自分を殺す為に送られてきた男だ。正直、男の腕が体に触れた瞬間は、心臓が跳ねあがる感じがしたけれど、高耶は素直に従った。

橘と肩を並べて歩くのは、不思議な感覚だった。たった今、出逢ったばかりだというのに、この男をずっと以前から知っていたような、懐かしい気がする。
暗殺を生業にしていると云う男の手が、以外にも暖かいことが、高耶を安心させたのだろうか?
高耶自身は思ってもみないことだが、この感覚は、おそらく迷子の幼子がようやく保護者の胸に戻れた安堵感に近いかもしれなかった。



「寒くはないですか?」
さりげなく気遣ってくる男に、高耶は黙って頷く。
行き交う人々から見れば、とてもこの二人が初対面で、ましてや自らの殺害を依頼したクライアントと、それを遂行する為にやってきた殺し屋だとは、夢にも思わないだろう。

「高耶さんは、夕食はまだですか?」
「……別に腹は減ってない」
「いけませんね。あなたぐらいの年代で、食事を抜くのは体によくない。食べないと駄目ですよ」
高耶は怪訝そうな顔で男を見た。
今から殺そうと云う相手に云う台詞とは、とても思えない。
だいたい、この薔薇と云い、いったい何考えてるんだよと、高耶は、また少し顔を赤らめて、照れ隠しからか、怒ったように云った。
「あんた、変わってるな」
「……そんなことはありませんよ。当然のことを云ったまでです。あなたは確か、肉より魚の方がお好きでしたね」

自分の食の好みまで知り尽くしている男に、高耶は目を見開いて、
「最近の殺し屋は、そんなことまで調べるのかよ」
「……クライアントを知ることは、完璧な仕事をする為の必須条件ですからね」
淡々と男は告げて、そこで不意に表情を和らげた。
「いまは仕事の話はやめましょう。ようやく逢えたんです。まずは食事をしませんか?いい和食の店を知っています。あなたもきっと気に入りますよ」
そう云って、橘は半ば強引に高耶をエスコートし、とある高級レストランへと誘う。

奥まった個室へと通されて、橘と二人きりになった時、高耶が自嘲するかのように、
「……最後の晩餐か」
と呟いたが、その時、男の鳶色の瞳が一瞬、痛ましげに揺れるのに、高耶は気づかなかった。




橘がコース料理とともに、「あなたの口にきっと合うから」と云って頼んだワインは、日頃、ワインなど口にしたことのない高耶の口に、驚くほどあった。
ワイングラスを弄びながら、高耶が問いかける。

「あんた。……今まで、何人殺した?」
「云っても、おそらく信じはしないでしょう」
男は、淡々と答える。
「どんな風に殺すんだ?」
「……それは、クライアントの依頼によります」
「はじめてひとを殺したのは?」
「……もう、随分昔のことです。忘れました」

高耶はしばらく黙っていたが、やがて再び、口を開いた。
「……あんた。オレのこと、調べたんだろ?」
「……ええ。一通りは……」
「じゃあ、知ってるんだろ。オレが、オヤジと妹を殺したこと」
「それは、あなたのせいじゃないでしょう。あなたは……」
橘が何か云いかけたところで、オーダーしていた料理が運ばれてきたので、会話はそこで中断された。

店員が出ていき、再び二人きりになると、橘が微笑んで、
「いまは仕事の話はやめませんか?食欲がないとは思いますが、少しでも食べられるようなら食べた方がいい。本当にこの店の料理はおいしいんですよ」



橘は、話せば話すほど、不思議な男だった。
まるで昔からずっと、高耶の側にいたかのように、男といると落ちつく感じがした。
この店を出て、おそらく数時間後には、この男の手にかかって死ぬというのに、男と過ごす時間は、それまで高耶が知らなかった安らぎに満ちていた。




橘と逢ったことで、張り詰めていた糸が切れてしまったのだろう。
元々、アルコールがあまり強くはないこともあって、高耶はたちまち酔いが回ってしまった。
歩けないほどではないが、少し足元がふらつく。

「……部屋を用意してあります。そこに行って休みましょう」
橘に支えられるようにして店を出ると、いったいいつのまに呼んだのか、店の前にはハイヤーが横付けされている。
高耶を後部座席へと促し、後から自らも隣のシートに乗り込んで、橘が手で合図をすると、ハイヤーは音もなく走り出した。



首都高速の流れるネオンをぼんやりと見つめながら、ああ、これが自分が見る最後の車窓なんだな、と高耶は思った。
「……大丈夫ですか?窓を少し、開けましょうか?」
気遣う橘に、高耶は黙って首を振る。
互いに無言のまま、ハイヤーは一時間ほど走り続け、やがて瀟洒な屋敷の前で止まった。
「歩けますか?」
橘に体を支えられるようにして、高耶は屋敷へと入っていく。

ようやく、願いが叶う──

自分を支える暗殺者の熱を、衣服越しに感じながら、まもなく訪れる死を思い、高耶は薄く微笑んだ。



To Be Continued...


最近、読んだとある小説が自分的にどうにも萌えで、つい書いてしまいました。
直江が殺し屋で、高耶さんがそのクライアントと云う設定以外は、まったく別の話ですけど(笑;
ネタバレになっちゃうので、今はコメントなしと云うことで……。
にしても、ゴージャスな直江って……やっぱり好きだーvv
えへへへへv

例によって、自分以外誰が楽しいのかって感じなお話ではありますが、よろしければ後編をお待ち下さいですの(^^;)