「暗殺者 after」



BY milkey417


 

深く沈んだ意識の底で、彼はまどろんでいる。
羊水に浮かぶ胎児のように、彼の中の無意識が、皮膚に感じるぬくもりを「あたたかい」と感じている。

悪夢にうなされ、絶叫で目覚める日々。
それでいいと思っていた。
安らかな眠りなど、家族を救えなかった自分に、許されるはずもない。
──それなのに。

あの日以来、長らく見ることのなかった穏やかな夢の終わりに、もう二度と訪れることはないと思ったその朝を、仰木高耶は暗殺者の腕の中で迎えた。




強力な自白剤の後遺症と、激しい陵辱の為に、まだ朦朧としているのか、ぼんやりと、虚ろな瞼が見開かれる。
「………」
その瞬間を待っていたかのように。
愛しいひとの眠りを妨げないよう、腕枕をしながら、長い時間、身じろぎもせず、幼い寝顔をじっと見守っていた男は、穏やかに微笑みかけた。
「……おはようございます、高耶さん」

よく眠っていましたね。
甘い囁きとともに、有無をいわせず、こめかみに口づけられた。
「───!」
黒い瞳が見開かれ、ようやく我に帰ったのだろう、端正な顔が一瞬青ざめ、すぐにカッと紅くなった。

いつのまにか、手首を戒める手錠は外されていたが、自分を殺す為に送られてきた男と、互いに全裸で肌を重ね、一つのベッドで眠っていると云う、ありえない現実……高耶の脳裏に嫌でも昨夜の狂乱が蘇った。
咄嗟に何かを云いかけたが、言葉にならず……せめてもの抵抗とばかりに、男の腕から逃れようと試みた体は、腰を貫く激痛の前に虚しく沈んだ。

「………ッてぇ」
たまらず、そう口走ってしまった途端、新たな羞恥に唇を噛み締める。
己のすべてを暴かれ、その身を奪われた上、何より、もう長いこと忘れていた穏やかな夢の中で、無意識の内に感じていた暖かさは、この男のぬくもりだったのだと、目覚めた途端、思い知らされて、きつく唇を噛みしめ、顔を背ける高耶に、
「……大丈夫ですか?」
と、男は苦笑して、なだめるように云った。

「急に動くものではありませんよ。いいから、じっとしていて」
「………」
高耶からの返答はない。
「……高耶さん?」
優しく名前を呼びながら、男がベッドに上体を起こしかけると、また、何かされるのではと怯えたのか、腕の中の細い体が、見る間にサッと強張るのが、男の肌に直に伝わった。




自由を奪い、薬を使ってすべてを吐かせ、生きることを強要し、その上、初めての体を容赦なく貪ったのだから、今は恨まれていても仕方がないだろう。
男が本当に心配なのは、過去を暴かれたことでの、心理的なショックだった。だが、あれだけの陵辱を受けても、力強い眼で、真直ぐに見返してきたこのひとのことだ。
大丈夫だとは思うが……。

それでも、強情な高耶がどれほど強がってみせても、本当は脆いことを見抜いている男は、怯えさせぬよう慎重に、そっと手を伸ばして頬に手をかけた。
「………ッ、」
羞恥と怒りと困惑がないまぜになったような、複雑な色を浮かべた眼が、男を見た。

いとしいひとを見守る男の眼差しは優しい。
「……高耶さん」
尚も背けようとする顎を押さえて、男は囁く。
「……眼を逸らさないで。いまは何もしないから。私を見て下さい」
「………」
暖かな視線と、優しい腕。
高耶の中で、様々な感情が交差する。抱きしめる腕の中から逃れることもできず、吐息が触れそうな間近で見つめあったままでの、息苦しいまでの沈黙。
先に耐えられなくなったのは、高耶の方だった。

「──おまえ、オレを……」
云いかけて、すぐに言葉に詰まってしまう高耶に、
「そんな顔をしないで下さい──あなたは、とても動揺している。確かに、昨日、会ったばかりのこの男の言葉を、今すぐ信じろと云うのは無理かもしれませんね。でも」
男は慈しむように微笑んで、
「高耶さん……これだけは覚えていて下さい。私はあなたを愛している。今はまだ、信じてもらえなくていい。けれど私がどれだけあなただけか、あなたにも、いまにわかる」

あまりにストレートな愛の告白に、紅くなったまま、高耶は絶句する。
それらの言葉の端々からは、高耶への、男の異常とも思える執愛が一瞬、垣間見えたが、すぐに男はまた、穏やかな口調に戻って、
「必要なものがあれば、何でも用意しますから、遠慮なく云って下さい。……何も心配はいりませんよ。あなたは、しばらくは何も考えずに、ここでゆっくりしていればいい」

「………」
男の真意を計りかねているのか、すっかり黙り込んでしまっている高耶の前髪に、男は愛おしむように口づけると、さりげなく話題を変えた。
「それより高耶さん。お腹が空いているでしょう。起きられるようなら、食事にしませんか?……ああ、その前に、先にお風呂に入りましょうか。ココ──」
べとべとして気持悪いでしょう?

悪戯な囁きとともに、まるで不意打ちのように、昨夜、散々、貪られた双丘の狭間を一瞬、淫らな指先が掠める。
「……ッ、」
カッと顔を紅くして、何かを云いかけるが言葉にならず、わなわなと身を震わせている高耶を後目に、男はクスクスと笑いながら起き上がってガウンを纏うと、抗うことすら許さず、細い体を軽々とベッドから抱き上げてバスルームに運んだ。






屋敷の三階の一画に設けられた、日当たりのいいオープンテラス。
焼きたてのベーコンエッグとトースト、サイフォン入りのコーヒーがいい匂いをたてている、木製の大きなテーブルを挟んで、男と高耶は向き合っていた。

まだ体の自由もままならないだろうと、ベッドでの食事を薦められ、カッと紅くなりながらも、それを拒んだのは高耶自身だ。
すると男は、それならば、せっかくいい天気なのだから、外で食べましょうかと笑って、高耶を有無を云わせず横抱きにして、このテラスに連れてきたのだった。

高耶が少しでも楽なように、さりげなくクッションをきかせた椅子に座らせてはいるが、本当は、そうしてただ、腰掛けているだけでもつらいに違いない。
それでも強情な高耶は、青ざめた唇を引き結んで、不貞腐れたように押し黙っている。

昨日はよくわからなかったが、こうして見晴しのいいテラスから周囲を見渡すと、男の屋敷がいかに広大で、深い木々に囲まれた敷地の奥に建てられているかが、よくわかる。
近くに民家は見当たらず、その上、屋敷を囲むように、庭の至る所に、男の部下らしい、黒服を纏った男達が立っているのが見えた。

万一、逃げ出せたとしても、これじゃ捕まるのは時間の問題だな──ぼんやりと、高耶はそんなことを考える。
無論、今の自分に、そんな気力など残ってはいなかったが。




「──まだ、怒っているんですか?」
まるで子供のように拗ねてしまっている、いとしいひとを前に、男はなだめるように微笑んだ。
一人ではろくに起き上がることもできないくせに、風呂ぐらい一人で入れると騒ぐ高耶が愛おしく、強引に運び込んだバスルームで体を洗ってあげているうちに、つい、悪戯心が出てしまった。
だが、さすがに少し、悪戯の度がすぎたようだと男は内心、苦笑する。

こちらを見ようともせず、そっぽを向いたままの高耶に、男は素直にあやまった。
「すみません。恥ずかしがるあなたが、あんまり可愛いかったものですから……調子に乗ってしまいました」
しゃあしゃあと反省の弁を口にする男に、あれだけのことをしておいて、てめーよくもっ、と云う呪詛の言葉が喉まで出かかったものの、そのせいでまた、男にされたあれこれを思い出す結果となって、高耶は羞恥に身を震わせる。

行為に疎い上、根がまっすぐな高耶は、感情がすぐに表に出てしまう。
それが男には、たまらなく愛おしかった。
(かわいいひとだ)
男はまた微笑んで、再び、なだめるように、
「高耶さん、どうか機嫌を直して下さいませんか?コーヒーが冷めてしまいますよ」
「……」
結局、繰り返し詫びてくる男に根負けしたのか、高耶は不貞腐れた表情のままで、コーヒーカップに手をかけた。
そのまま一口、口にして、内心、驚く。
高耶のコーヒーのミルクと砂糖は男が入れたのだが、それは驚くほど高耶の好みに合った。正直、食欲などなかったが、暖かなコーヒーを口にして、初めて自分が空腹だったことに気づく。
自然とトーストの皿にも手が伸び、相変わらず口を聞いてはくれないものの、高耶が自分の意志で食べ出したのを見て、男は安堵の表情を浮かべた。






静かな時間が流れていく。
思えば、もう長いこと、こうして誰かと一つのテーブルに向かいあって、食事をすることもなかった。
しかも、相手は自分を殺すはずだった男だ。
あまりにも現実からかけ離れていて、夢でも見ているのではないかとすら思えてくる。

「──高耶さん。コーヒーのおかわりはいかがですか?」
物思いに囚われていた高耶は、勧められるまま、一瞬、自分でも驚くほど素直に頷いてしまい、照れ隠しからか、すぐにまた怒ったような表情になった。
恭しく、空のカップにコーヒーとミルクを注いでやりながら、男はそんな高耶を穏やかに見守った。



やがて、高耶の皿が、空になるのを見計らって、男が切り出した。
「──寒くなってきましたね。風邪をひくといけない。そろそろ、部屋に戻りましょうか」
そう云って立ち上がると、当然とばかりに、高耶を抱き上げにかかる。
軽々と女のように横抱きにされかけて、高耶はまた、真っ赤になってじたばたともがいた。
「下ろせよっ!自分で歩けるっ……」
「無理しないで。歩けやしませんよ。腰がひけてるくせに」
「──!」
誰のせいだ、とまた新たな怒りに震える高耶のこめかみに、男はそんなに怒らないで、となだめるように口づけた。





寝室に戻ると、昨夜の情事ですっかり乱れ切っていたはずのベッドは、いつのまにか整えられていた。
先ほどの食事も、入浴を終えてテラスに連れて行かれた時は、すでにテーブルに用意されていたし、姿は見えないが、使用人がいるらしい。
まあ、この男が相当の金持ちだと云うのは、もう嫌と云うほどわかったし、第一、これだけの屋敷なのだから、使用人の一人や二人いて当然かもしれないが、あのベッドを誰かが片付けたのかと思うと、高耶は顔から火が出そうになった。

「何をそんなに紅くなっているんです?」
真新しいシーツと、幾つも折り重ねられたクッションの上に下ろされるなり、高耶はまたキッと男を睨み付けたが、懲りない男はまた、楽し気に微笑む。
「本当に、可愛いひとですね」
奥歯をギリッと噛みしめて、ついに爆発した高耶は呪いの言葉を吐いた。
「てめえッ!──だいたい人が黙ってりゃ、いい気になって、好き放題やりやがって。いい加減にし──」
「直江ですよ。昨日は、あんなに泣きながら何度もそう呼んで下さったくせに。今日は名前で呼んでくれないんですか?」
「──死ね!」
あらん限りの怒りを込めて、次から次へと投げ付けられるクッション。
(あなたがあんまり可愛いから。つい、虐めたくなるんですよ)
微笑しつつも、男は心の底で安堵していた。
自分の意志で食事も採ってくれたし、このひとはきっと大丈夫だ。
これまでの不幸なんて、俺が全部忘れさせてあげる。




床に落ちてしまったクッションを一つずつポンポンとはたいて、高耶の傍らに置いてやりながら、男はそんなに怒らないで下さいとなだめるように微笑む。
子供のように真っ赤になって不貞腐れている、いとしいひと。
「──愛していますよ」
この期に及んで、尚もぬけぬけとそんな言葉を吐く男に、高耶は絶句した。
「このヤローッ……」
尚も云いかけたが、自分を見つめる男の眼が、酷く真剣なのに気づいて、高耶はそれ以上、言葉もなく、気まずそうに視線を逸らした。

男は、そんな高耶を愛おし気に見つめていたが、やがて、
「すみません。私はこれから、急ぎの書類を仕上げなくてはならないんです。二時間ほどで終わりますから、それまで、少し休んでいて下さい」
「………」
高耶からの答えはなかったが、男は構わず、笑を浮かべたまま、ベッドサイドのクロゼットの引き出しから、何かを取り出して、いとしいひとの手を取った。
「なっ……」
それは、長い鎖のついた手錠だった。
驚いた高耶が、咄嗟に手を引っ込めようとしたが、それを許さず、男は恭しく細い手首に嵌め込む。
そうして、手錠のもう片方は、ベッドの柱に繋がれた。

「──なんのつもりだよっ……」
動揺する高耶に、男はしれっとして云った。
「保険です」
「なんのっ、」
「私は心配症なんです。わかりませんか」
「わかるかよっ」
男はなだめるように笑って、
「これの変わりになるものを、今、用意しています。少しの間ですから、多少の不便は目を瞑って下さい。鎖は充分な長さがありますし、それほど不自由はないはずですよ?」
「………ッ」
しばらくの間、高耶は唇を噛みしめてむくれていたが、やがて、不貞腐れたように自らシーツに潜り込んで背を向けた。

「……高耶さん?」
「……っだよ。大人しくしてりゃいいんだろ。もうわかったから早く行けよ。忙しいんだろ」

言葉にすれば、このひとはまた、真っ赤になって怒るだろうが、それでも、云わずにいられない。

本当に、可愛いひとだ。
男は上体を倒すと、シーツにくるまっているこめかみに、愛おし気に口づけた。



Das ende?













先日、UPしたお誕生日編の少し前の話です。一応、暗殺者の続編…なんですが、もう、ただのバカップルだし(笑;とりあえず、お誕生日編含めて暗殺者ベースのパラレルだとでも思って下さい(笑;
どうも黒417は長期家出中のようで…えろがなくてすみません;
最近は高耶さんをヒイヒイゆわすより、甘やかす方に萌えてまして(^-^;)
うーん、どうした。らしくないぞ417。ガンバレ(笑;

バスルームでの悪戯、書きたかったんですけど…皆様の煩悩にお任せしますv
それでは、読んで下さってどうもありがとうございました(^-^)