ダブル・フェイク 終章
BY k−330さま
恭しく傅かれ。乗り付けた黒のベンツから降り立った一人の女性。
破壊された正面ゲートから見渡された光景と、周囲に漂う血生臭い空気。
「…酷いものね」
彼女は誰にともなく呟いた。
建物の到る所に負傷した隊員が倒れ。重症のものから順次、救急車で近辺の病院へ搬送されている。
辛うじて軽傷で済んだ者達も、どこか呆然とした態で座り込み――あるいは力なく項垂れて人目も憚らずに、すすり泣いていた。
これが、四国最強と謳われた部隊の今の姿――。
突然、部隊を襲った凶行を、彼らは防ぐことの出来なかった。その事実を信じられないでいるのは、他ならぬ彼ら自身だろう。
その魔物は、大胆にも真正面から侵入し、そしてわずか数時間でこの特殊部隊を壊滅状態に追いやったのだ。
――こうなることが解ってて、止められなかった自分が腹立たしい――
そして何より。こんなことを許した組織が、許せない――。
彼女は、一人唇を噛んだ。
中央の査問委員会からの使者はたった一人。それも、若い女性だった。
中央のあまりに早急な対応に肝を冷やして待っていた支部の責任者である壮年の男は、ほう−と安堵のため息を漏らした。
そして、重症の身を押して同席した兵頭を槍玉に上げ、自分自身の正当性を叫び、我身の保身を図った。
いわく。
私は何も知らされていなかった。事件の責任の全ては、重大な事実を隠匿し、勝手な行動に走ったこの副隊長と、竜王から派遣された人物たちにある…と。
「…言いたいことは、わかったわ」
広いソファーに一人腰掛け、長い足を組み顎に手を当て聞いていた彼女は、うんざりした様子で男の際限ない愚痴と中傷を遮った。
「査問委員会に掛けるまでもない…私が判決を下してあげるわ」
保身と欲に醜く歪んだ男の顔を睨めつけ、
「重大な職務怠慢と、職務放棄。本人には自覚もなければ反省もない。責任者として完全な義務違反。よって、朱塗りの塔にて十年の幽閉。…これが妥当なところかしらね」
さらりと言われた言葉に、男は激怒した。
目の前の大理石のテーブルを叩き、
「何の…いったい何の権利があってそんな適当なことが言える!」
激昂する男を、彼女は嘲笑した。
「権利なら、掃いて捨てるほどあるわよ、私には」
彼女の背後に控えていた、影のような男たちがスッと動き、断罪された男の両腕を拘束した。
我身に加えられる理不尽を叫んで抵抗する男に、一人が何事か囁いた。
こちらに背を向け耳元に囁かれた男は。一瞬後、へなへなと脱力して、その場に座り込んだ。
「どうして…、どうしてそんな…」
どうしてそんな人物が、わざわざここに―――
最後まで言うことは許されず、男は部屋から引き摺り出された。
「ついでに、私に対する不敬罪も上乗せしてやればよかったかしら?」
彼女の視線は、残された兵頭に向けられた。
既に意識のなかった潮らを救急病院に搬送させ、自らは強い意志で救急車に乗ることを拒んで施設内で手当を受けた彼は、血の気のない顔で躰の至る処に包帯を巻かれ、痛々しい限りだった。
「あなたとは、会うのは二度目だったわね。兵頭隼人」
「ええ…」
特命で中央に派遣された折、彼女は部隊と中央の橋渡し的役割を負っていた。
明確な理由もないままに仰木高耶を足止めしていた中央の不信な態度を一喝し、四国への帰途を促してくれたのは、他ならぬ彼女だった。
兵頭自身は、彼女に対して特別な感情を持ってはいたわけではなかったが、仰木隊長は、そこらへんの男よりもよほど男らしい性格の彼女を気に入ったようで、随分と打ち解けた様子を見せていた。
それは僅か、一ヶ月に満たない過去の事。
今ではそれすら、遠いことのように思える……
不意に。兵頭の胸に苦い感慨が過ぎった。
「…“竜王”の仰木高耶が色情鬼の贄であることを隠して、隊内で匿っていたそうね」
感情の見えない表情の兵頭を見やり、彼女は徐に言った。
「………」
兵頭は、無言だった。
彼女は微かに苦笑し、
「…彼を庇ってくれてありがとう。礼を言うわ」
隠匿の罪は重い。当然、自分らも断罪されるだろうと考えていた兵頭は、静かに驚いた表情で彼女を見た。
「なぜ…、あなたが私たちに礼を言うんですか」
彼女は微笑み、
「私がしたくても出来なかったことを、あなた達がしてくれたからよ」
秀麗な顔に浮かんだ笑みは、嘲笑のようにも見えた。
「ところであなた、大丈夫?」
不意に、彼女は話題を変えた。兵頭の怪我の様子を聞いているらしい。
大丈夫でないことは、顔色を見れば分かる。それを敢えて確認するのは、何か用があるからだ。
「…何とか」
苦笑しつつ、兵頭は答えた。
彼女は小さく笑って、立ち上がった。
「なら、案内してくれるかしら?」
どこへ…とは言わない彼女に、兵頭は頷いてみせた。
看護病棟周辺は、特に悲惨なありさまだった。
既に怪我人の多くは救急車で運ばれていたが、夥しく飛び散った血痕が、ここで流された血の多さを物語っていた。
そして、救急病院からの通報で知らされたのだろう。既に公安のから派遣された者と思しき人間が数人、件の病室の現場検証に当たっていた。
黒く変色した血に塗れ、ぐちゃぐちゃに乱された寝台。そして、血の匂いに交じって、男だけが持つ青臭い特徴のある匂いが周囲に漂う。
床には、入り口まで点々と伝う赤い血液の跡。
「…ずいぶん…楽しんでくれたようじゃない」
顔色を変え、吐き捨てるように、呟く。
壁には、叩き付けられた時に付いたのだろう、飛び散った血痕。そして、そのほぼ真下に、黒い毛皮の動物がピクリともせずうずくまっていた。
スッと、彼女は動いた。
「おいっ、勝手に入られちゃ困る!」
入り口で止めようと追ってきた捜査員を、彼女は無視してそれに近づいた。
「おいっ、入るなと言ってるだろ!」
尚も彼女を追おうとする男を、共をしていた黒服の男たちが力ずくで退ける。
「…小太郎……」
彼の―仰木高耶の足元に何時も寄り添っていた半妖獣の名を呼び、動かないそれを見下ろした。ありえない方向に捻曲がった首に、それが既に絶命していることを知らされる。
「最後まで…守ろうとしたのね、」
呟いて。自分の上着を脱ぎ、その死骸の上にそっと被せてやった。そして、供の者にその遺骸を運び出させた。
「もう、この部屋には用はないわ」
彼女は慄然とした声で、そこにいる全ての人間の退室を命じた。
聞けば、この病室を聖油で焼いて浄めると言う。
「冗談じゃない! いったい、何を考えてるんだ!」
怒鳴ったのは、公安から派遣された男だった。
態度からして彼が派遣者たちのリーダーであるらしかった。
「あなたたちの上の人間には、話をつけているわ。何なら、確認してちょうだい」
それを聞いて。彼らの一人が携帯電話を取り出した。しかし、それを男−嘉田が遮った。
「貴様…何様だ。これだけ派手な事件を起こしといて、うやむやにしようってのか!」
怒気も露に、嘉田は彼女に喰ってかかる。
「貴様らはいつもそうだったな。こういうことがある度に余計な首を突っ込んで、自分たちの力を誇示する。一般人には目隠しをして恐怖心を持たせておいて、そのくせ、金や力のある者しか救わない! …ったく、ふざけるのもいい加減にしやがれ!」
彼女は嘉田の言葉を黙って聞いていた。
そして、おもむろに言った。
「あなた…奥さん、いる?」
突然聞かれて、男は唖然とした。
「な、何を突然…、」
「いないのなら別に恋人でもいいから、想像してみて」
言い諭すように。彼女は男の目をまっすぐに見る。
「ここで魔ノ者に襲われ弄ばれて、連れ攫われたのがあなたの恋人だったら…あなたどうする? 見も知らぬ者たちが、自分の最愛の恋人が陵辱された場所に入り込み、あなたの目の前で、彼女の受けた暴力と恥を暴き立てようとしているの…」
ベットの上には、彼女の秘処から流された血液が、魔が彼女の体内に残しただろう汚れた体液が、まったくそのままに残っている。
お前なら、そんな時いったいどうする――?
聞かれた嘉田は嫌そうに顔を歪めた。
しばし考えた後、答えた。
「たぶん、そいつら全員ぶちのめして、この部屋に火ィ付けるな」
嘉田は、顔を歪めたまま笑った。
彼女は嘉田に柔らかい笑みを返し、
「…ここで魔ノ者に陵辱されて連れ去られたのは、彼らにとって、そんなふうに大切な人物だったの」
いつのまにか…廊下には、隊員たちが集まっていた。
彼らは皆、無言だった。しかし、その目の奥には、暗く沈んだ怒りがあった。
「ぶちのめすだけじゃ済まないわよ、きっと」
嘉田は、忌ま忌ましげに周囲を見た後、顔を背けてチッと舌打ちした。
彼女は微笑する。
「あなたにはあなたの正義があるのは、よく解かるわ。でも今回…今回だけでいいから、黙って私の我まま聞いてもらえないかしら?」
嘉田は少し考え、
「……一つ、教えろ。そいつは、あんたの何なんだ? コレか?」
嘉田は、横柄な態度で左の小指を突き立てた。
「馬鹿ね。そんなんじゃあ、ないわよ――、」
彼女は、嘉田の勘違いに苦笑して言った。
「たった一度、一緒に仕事をしただけの関係よ。でも…一度で十分でしょう。彼がいったどんな人物かを思い知るのには――」
嘉田にも、思い至ることがあったのだろう。フンと鼻を鳴らし、ボソリと一言だけ文句を言った。
「…ったく、話を擦り替えやがって…」
そして、そこにいた隊員たちに、
――いらん世話したな。
と、揶揄混じりに言い。自分の部下全員に向かって手を上げ、無言のままに引き上げの合図を送った。
熱量のない浄化の青白い炎が、部屋内部を舐めるように焼き尽くす。
彼女が呪紋と共に聖油を蒔き、兵頭が火を放った。浄化されていく魔ノ者が残した爪痕と、彼の人が残した悲鳴と血痕…それがきれいに拭い去られていく。
放心した目でそれを見続ける、隊員たち。
それらから目を逸らした彼女は、自分の隣に佇む兵頭に向かって言った。
「彼を探して救い出そうなんて…考えないでね。無駄なことだから」
目を合わせずに言われた、冷たい言葉。
ピク−と、無表情だった兵頭の顔が動いた。
「どういう…意味ですか」
「私は、難しいことを言ったつもりはないわ。言葉通りの意味よ」
彼女は振り向いて嘲笑い、
「あなたたちの力じゃ、到底ムリよ。何しろ…、あの吸血鬼を手引きしたのは、麒麟の中枢部なんだから」
兵頭と、最後まで見届けようとしていた嘉田と。そこで彼女の声を聞いたものは皆、驚愕し目を剥いた。それは、皆に聞こえるようにと、女が敢えて口にした言葉だった。
「そんな、馬鹿な…!」
「なんで、そんなことが――」
でたらめを言うな――という罵声に彼女は、
「あなたたちが信じようと信じまいと、事実は事実よ」
ふっと目を伏せ、自嘲気味に言った。
「私の父を含む――四天師たちと麒麟中枢部は、急激に国力を付けてきた『四国』を脅威と感じて、手っ取り早く『四国を潰す』事を画策したのよ。件の吸血鬼と、その贄であった『竜王』の『仰木高耶』の存在を利用して――ね」
知らされた事実に、あまりの驚愕に、彼らは凍りついた。
彼女の父が四天師の一人であるというだけで、聞かされた言葉が真実であることは間違いない。
シン−と静まり返った周囲に痛いような眼差しを向けて、彼女は言った。
「巨大になりすぎた組織は、芯から腐っていくものらしいわ……」誰も、彼を救えない。
――彼を救えるのは彼自身だけ。
彼自身で運命を変えるしか、救いの道はないのよ――そう言い残して。彼女はそこから去っていった。
その後。
四国最強を誇った特殊部隊は解体された。その隊員たちの多くは組織から脱退し、もう二度と組織に関わることはなかった。
事件の発端となった『仰木高耶』の名は、『魔ノ者にその身を売った許されざる堕落者』という烙印と共に、『麒麟』の400年の歴史の中に刻まれた。そして、彼を生んだ『竜王』は、彼の存在そのものを『竜王会』の全ての史実から抹消した。
そして四国は。
麒麟から与えられていた特権の一切を剥奪され、衰退の一途を辿る。
弱体した組織は、魔物の繁殖を許し。四国は『死国』となった。
それは図らずも件の『色情鬼を装い、四国最強の部隊を壊滅させた魔物』が、画策していた通りの結末だった。
そして。
その後、『仰木高耶』がどんな運命を辿ったのか、誰も知らない―――
END
*椎名コメント*
K−330さまからの素晴しい頂き物です♪待ちに待った直江の本領発揮!鬼畜!!悪党!!!
でもカッコイイ!!!!!(爆死)
特に「ここを開けて」のあたり・・・ゾクゾクしました。
うああああ(><)
狩られる高耶さん、不憫・・・;;
でも思いきり高耶さんが直江のものだと見せつけてくれて嬉しい・・・(死刑)
K−330さま、約1ヶ月半に渡る連載、本当にお疲れさまでした!
素晴しい作品をありがとうございました!!