ダブル・フェイク 6


BY k−330さま


 早朝。まだ日の明け切らない薄暗い時間。
 グリーンとブルーのカラーを塗られた警備車輛が二台、ゲート前に横付けされた。
 すると。ゲートの警備隊員とは別に、周辺警備にあたっていたと思しき隊員数人が車両を取り囲んだ。
 途端に、騒がしくなる周囲。何時になく、警戒が厳しい。
「…ずいぶんと大切に守られて…庇われているようですね。あなたは」
 男は、遙か上空からそれを見下ろしていた。その姿は薄闇に紛れて人の目には見えない。
 下界を見下ろすその視線の先で、ゲート前の警備車輛の中から男が降り立った。
 吉村…だった。

 もうすぐ、アレが手に入る。
 それはもう、確定された未来。

 男は、一人笑う。
 約束された獲物(報酬)に歓喜を露にする男の口元には、二本の鋭く尖った牙が白く光っていた。




「――吉村? 本部のか。何の用で、だ」
 看護病棟に向かっていた兵頭の携帯に入ってきた連絡は、四国本部の警備隊長が数人の部下を伴ってアポなしで乗り込んできた…というものだった。
『それがどうも昨日の隊長が襲われた…もちろん“女”のほうですが…その件で、詳しい状況を直接本人の口から聞きたい、ということらしいんです』
「その件なら、昨日の夜の時点で武藤が断ったはずだ。体調不良を理由に。さっさと、追い返せ」
 にべも無い兵頭に、隊員は、
『それが…仰木隊長がダメなら、武藤さんでもかまわないと言ってきてるんです』
 ――今は、それどころではないというのに。
 わずらわしさに、兵頭は舌打ちした。二人とも体調不良…という言い訳は通じまい。
「今から武藤と隊長に会いに行く。吉村はそのまま待たせていろ。連絡はこちらから折り返し入れる」
 携帯の電源を切り、足早に病室に向かった。


 兵頭は、集中治療室に向かう廊下の途中で潮と出会した。潮の足下には、小太郎がいた。
 兵頭は武藤に向かって軽く手を上げて近づいた。
 厳しい表情の兵頭に察した潮は、
「どうした、何かまずいことでもあったのか?」
 声を潜めて、聞いた。
「本部の警備隊長が、隊長もしくはおまえに直接事情聴取させろと言って、乗り込んできた」
 潮は、あちゃ〜と妙な叫び声を上げた。
「ったく、面倒くさいやつらだなぁ。明日まで待てねーのかよ」
 文句を言ってはみたが。しかし、向こうが必死なのも潮には分かる。
「…昨日ホテルで散々脅かしてやったからなぁ〜」
 高耶が、ロビーから走り去った後のこと。
「仰木を襲った女が長谷川のおっさんの正真正銘の正妻だって聞いてあったまきて、『事と次第によっては竜王から報復を受けることになるだろう』とか…いろいろ言っちまった」
 女が色情鬼の虜だったことは向こうは知らないは(薄々気づいているとしても)なので、たぶんそれが焦らせる原因の最大の要因になっていると思われる。
「どうする、武藤」
「とにかく、今日はここを離れるわけにはいかないだろ。何とか明日に引き伸ばすしかねーな」
 今すべき事の優先順位は、件の『色情鬼』の襲撃に備えることだ。それ以上に緊急を要する事柄など、今の彼らには存在しない。
 ――襲撃は、おそらく深夜。
 それが、彼らの出した結論。
 本来、全ての魔は夜行性である。太陽のある日中よりも月のある深夜のほうが、魔物はより活発に本領を発揮する。だからこそ、彼らに搾取される側の人間は、夜の暗闇を本能的に恐れるのだ。
 仰木高耶に所有物の烙印を押した許すべからず魔物。その魔物を仕留めるために、彼らはまだ日も昇らないうちから怠りなく準備を進めていた。

 病室の前には4人の隊員が護衛に当たっていた。
 二人は彼らに目で挨拶してドアを開けた。
「仰木、…起きてて大丈夫なのか?」
 てっきり、ベットに横になっているものと思っていたのに。
 高耶は既に普段着に着替え、ベットの端に腰掛けていた。
「別に怪我を負ってる訳じゃないからな。大丈夫だ」
 高耶は部屋に入ってきた二人を振り返り、普段とまったく変わらない様子で答えた。
「それより、大丈夫じゃないのは小太郎のほうだろう。医者の許可は取ったのか?
 まさか…勝手に連れ出したんじゃないだろうな」
 潮は笑い。こいつがさ…と小太郎を指さして言った。
「どうしても連れてけって暴れるもんで、連れ出してきちまった」
「やっぱり、無許可か」
「こいつがいたほうが、退屈しのぎになるだろう。許してやってくれよ」
 高耶は苦笑した。
 そして、来い…と小太郎を呼んだ。
 少し後ろ足を引き摺りながら、小太郎が駆け寄った。高耶は、擦り寄せてくる包帯に包まれた躰を、愛しそうに撫でた。
「仰木隊長」
 それまで無言だった兵頭が声を掛けた。
「以前科学班に依頼していた“血石”を今回、使わせていただきたいのですが、許可していただけますか?」
「…あれはまだ、試作品の段階じゃなかったか?」
“血石”とは、人の血液の中に無臭の特殊な毒素を混ぜ合わせ凝固させたもの。主に魔をトラップに掛けるときに使うものだが、高耶は自分の血の特異性を利用して今まで以上の誘導性と魔に対して致命的な毒素を持つ“血石”を作らせようとしていた。
「まだ改良の余地はありますが、今の段階でも十分威力を発揮すると思われます」
「……わかった。許可する」
 高耶は頷いた。
 そして。昨日の騒ぎの件で本部から警備隊長がここに来ていることを伝えた潮は、
「とっととヤツラ追い返して〜、で、直ぐに戻ってくっから。その後は、俺がココの担当の隊員たちとこの部屋を守るからさ。仰木は、部屋ん中で小太郎と遊んでりゃいいって。明日の朝にはすっかり全部かたずいて、みんな元通りだ――」
 失敗することなど欠片ほども考えていない潮は、軽く請け負って笑った。



「奴は…本当にここまで来ると思うか?」
 潮は、共に病室を出た兵頭に聞いた。
「来るだろう。わざわざ本人に誘拐予告をするぐらいだ。よほど自信があるんだろう」
「…言えば警戒されるとわかっていて敢えてそうしたのは……」
「余程の自信があるということだろう。内部に、手引きをする人間がいるかもしれない−ということだな」
「どういうことだよ、おいっ」
 さらりと言われた台詞に、潮は声を荒げた。
「勘違いするな。そういう可能性もある…ということだ。色情鬼なら暗示も得意だろう。誰かが以前に暗示を掛けられているという事も有りうる」
 人気の無い白い廊下を並んで歩きながら、兵頭は平然と言う。
「だから、“血石”を使う。色情鬼がもし、仕掛けた血石に見向きもせず病室に向かうようなら…つまり、そういうことになるな」
「血石を仕掛けるのは、結界の中なんだな――」
 魔が内部に侵入するために一番に狙うのはおそらく、建物全体を覆う結界の要となっている基石柱のある場所だろう。5本あるその内のいずれかを破壊できれば結界には僅かながらも孔が開く。
 高耶もたぶん、血石を使ってその基石柱の外側にトラップを仕掛けるのだと思っただろう。しかし、実際は違った。トラップは結界の中に。それも、最悪の事態に備えての企みだった。
「……裏切り者がいないことを祈るぜ」
 潮はため息ついて、唸った。




「おい、そこの」
 ゲートの内側にある狭い警備室で待たされていた吉村が、ドア近くにいた隊員に声を掛けた。
「…何か?」
 吉村のあまりに横柄な言い方に、声を掛けられた隊員―野辺はムッとした表情で応対する。
「本部の、元諜報員だった染地を呼んでくれ」
「失礼ですが、ご用件は?」
「用件は、本人に直接伝える」
「……わかりました。少々お待ちください」
 投げやりに野辺は答え。内線で染地を探した。


 数分後。呼び出されて、染地が姿を表わした。
「私に、何か?」
 髭を貯えた穏和な顔で、染地が聞いた。
 吉村は彼を呼び出した隊員を部屋から退出させ、おもむろに椅子から立ち上がった。そして、何が可笑しいのか突然、喉を震わせて笑い出した。
「…?」
 染地が、それを奇妙に思って振り向いた時。
「橘からの、命令だ」
 語気強く、真正面から視線を捕えられて、聞かされた。
 染地の躰が感電でもしたかのように、細かく震える。
「俺と共に、管制室を占拠しろ」
 染地の肩に寄り掛かり、底冷えのする笑みを浮かべて囁いた。
「成功すれば、美味しいご褒美が貰える。抜かるなよ」



 潮が警備室に着いたとき、吉村の姿はなかった。
「どこ行ったんだよ、奴は」
「染地さんが支部長の部屋に案内すると言って、連れだって出ていったんです」
 警備隊員の一人が答えた。
「染地さんが? …ったく、人を呼び出しといて何なんだよいったい…っ」
 不機嫌も露に、吐き捨てる。
「他に話のできる奴はいねーのか? こちとら忙しいんだよ」
 ブツブツ言いながらゲートを潜り。横付けされたツートンカラーの警備車輛に近づいた。
 すると。バラバラッと、車から本部隊員が一斉に降りてきた。皆、その手にライフルや拳銃を携えていた。
「どういうつもりだ、オイッ!」
 あっという間に、潮は回りを囲まれた。
「武藤さんっ!」
「おいっ! 何をする!」
 ゲート周辺の警備隊員たちは一気に気色ばみ、彼らに対して銃口を向けた。一触即発の中で、吉村の副官らしき男が叫んだ。
「本部からの命令だ! この男を本部まで連行する。この男を庇うものは皆、同罪と見なす!」
「なっ…、」
「な…何、言ってやがる!」
 次々上がる怒号の中、潮に向けられた銃口は揺らぎもしない。潮は、それらを冷ややかな目で睨む。
「俺がいったい何したってんだ? 教えろよ」
 男は、素直に手を上げた潮の後ろに回り、その背に拳銃を突き付けた。
「仰木高耶とお前の本当の目的は、四国を潰すことだ。昨夜の事件は、長谷川氏を陥れるために貴様らが仕組んだ罠だった。そうだろう?」
「……、証拠はあるんだろうな。よほどの証拠が揃ってなけりゃあ、こういう真似はできねーよな、ふつう」
 潮は、低く鼻で笑った。
 男は空かさず答えた。
「昨夜の事件の後、仰木高耶が密会していたのをホテルの人間が目撃している。相手の男は明らかに妖魔だったそうだ」
「……」
「その時、仰木の額には“贄”の文様があった。貴様らの隊長の正体は、汚わらしい“魔者の情婦”だったんだよ…!」
 勝ち誇った、男の声。
「なるほど、そういう事かよ…ッ」
 潮は叫びざま。周囲に水の渦を出現させた。
 細く圧力を掛けられた水は、回りを取り囲む男たちに刃となって襲いかかった。
 男たちは叫び声を上げて次々と倒れる。
「俺には、火器の類は通用しねえんだよ。そのくらい知っとけよ、馬鹿やろう」
 潮は吐き捨て、水に濡れた髪を掻き上げた。
 倒れた男たちを警備隊員たちが順当に取り押さえる。
 警邏隊員の一人、早田が潮に駆け寄って聞いた。
「武藤さん、今の話は…」
「んなもん騙しに決まってるだろう! 大体おまえら、仰木よりこいつらの与太話のほうを信じるってのか!」
 叱りつけるように言われて、
「そう…そうだよな。隊長が、俺たち騙すなんて、ありっこない――」
 彼は、自分に言い聞かせるように呟いた。
「それより、早く染地さんに連絡入れろ! 吉村の目的は、たぶん仰木だ。仰木のところにヤツを近づけさせるな!」
 潮が駆け出し、それを早田が追う。
「おい! 染地さんを呼べ! 大至急だ!」
 潮は素早く警備室に駆け込んで怒鳴った。しかし、担当の野辺から返ってきた答えは不吉なものだった。
「さっきから内線を鳴らしてるんですが、どこも話中で繋がらないんです。携帯電話を鳴らしても雑音ばっかりで…。いったいどうなっているのか…」
「携帯も繋がらない――?」
 自ら電話を掛けようと、早田が受話器を上げた時。
 突然。室内の照明が消えた。
「何っ!」
 潮は薄闇の中、警備室を飛び出した。
 見れば、施設全ての照明が消えていた。緊急時に作動するはずの、自家発電も作動していない。何者かが故意に電気の供給をストップさせたのだ。
「吉村の仕業かよ…っ!」
 潮は胸元から携帯電話を取り出し、兵頭に連絡を入れようとした。しかしそれは、ゲート付近で起こった、ただならぬ叫び声で中断された。
「結界が、結界が…ッ!」
 結界が消滅する――! 
 彼らの目の前で、地力結界がどんどん力を失っていく。
「…そんな、そんな馬鹿な…っ!」
 潮の傍らで、早田が唸った。
 地力結界とは、自然の地力を源とした、いわば無尽蔵の力で出来た分厚い壁。五本の基石柱を礎とする、魔ノ者の持つ力とは正反対のプラスのエネルギーの塊。もしも魔ノ者が無理矢理こじ開けようとしてこれに触れたなら忽ち自が力のエネルギーを吸い取られてしまうだろう、破絶魔の結界。
「…冗談! 結界破りが出来る妖魔なんて、吸血鬼ぐらいしかいねえぞ…っ」
 叫んだ潮が。
 そしてそこにいた誰もが、そのまま、硬直した。

 ――目の前に、何か、いる…

 二重ゲートの向こう側。
 昏い闇が、蠢く。
 ゆっくりと…それは人の形に凝縮される。
(ヒ…ッ、)
 誰かが、か細い悲鳴を上げた。



 電気の供給が遮断された直後、結界力が何者かによって相殺され、消滅した。
 ミーティング室で各部署に指示を出していた兵頭他、そこに居合わせた十数名の隊員たちは、潮からの連絡に声もなくただ青ざめた。
『……おおぎ…、…頼む…っ、』
 辛うじて聞き取れる潮の嗚咽混じりの声に、誰もが耳を疑った。
『おれ…、止め…られなか…った、たのむっ……ひょう、どう…ッ!』
「武藤! そこはどこだ、どこにいる!」

 潮は、携帯電話を取り落とした。その手は両腕とも、血に塗れていた。
「…携…たい…のほうが、おれ…より丈夫っ…てか…、ふざけ…て、やがる……っ」
 地面に爪を立てて、弱々しく足掻く。
(畜生…っ!)
 失って…しまう
 奪われて、しまう
 無くして、しまう!
 永遠に…!
(畜生、畜生、ちくしょう!)
 躰中の血液が、ギシギシと胸を軋ませる。
 荒い息の下、躰中に刻まれたどの傷よりも、胸の軋みが痛い。
(仰木ぃ…ッ!)
 ――失いたくなど…ないのに…!


 それは、直感だった。
 魔ノ者は真っ直ぐ、隊長の元に向かう!
「全員、看護病棟へ! 急げ!!」
 声を限りに、兵頭は叫んだ。



*椎名コメント*
K−330さまからの素晴しい頂き物です♪
いよいよ佳境に入ってきましたね・・・仰木隊長の運命やいかに!?

K−330さま、いつも素敵な作品をありがとう!次回もよろしくお願いします♪


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