ダブル・フェイク 1
BY k−330さま
「いい月夜ですね」
突然、頭上から声。
不意を突かれた高耶は、驚愕のまま弾かれたように振り返った。
「やっぱり、近くで見たほうがキレイだ。…ああ、もちろん、遠くから見ても十分キレイですよ」
男にたいして、無防備に後ろを見せてしまっていたことを知って、高耶は密かに舌打ちした。
仲間から一人離れ、不穏な気配を辿り。男を見失ったと思った矢先のこと――
振り返った彼を見下ろして揶揄うように笑う男は、崩れかけたビルの非常階段の柵の上に立っていた。しかしそれは立っていると言うよりも、宙に浮かんでいると言ったほうが正しい。
バサバサと強い風がコートの裾を掻き乱す。そんな状況でピクリとも揺らがず、錆びて脆くなった鉄柵の上に人が平然と立っていられるはずがない。まともな人間であれば。
「……」
高耶は、無言のままコートの下から右腕を出した。ゆっくりと広げた掌に、目映い光が生まれ出る。白熱した炎の塊。
相手が何かを言いかけるのを遮って、その塊を投げつけた。
炎の玉は白いカーブを描いて非常階段の暗がりに吸い込まれる。
「!」
が。到達する寸前、男は身軽にそれを避けた。対象を失った炎の玉はコンクリートの壁を壊す。
地上に降り立った男の足下で、砕かれたコンクリートの細かい粒子と街路樹の枯れ葉が強い風に巻かれて小さな渦を作った。
「ずいぶん乱暴なんですね。私はまだ、何もしていませんよ?」
子供の悪戯を諫めるように言いながら、男は近づいてくる。
「…近づくな」
高耶は、唸るような低い声で恫喝する。
「ああ、やっぱりキレイだ。炎に金粉を塗したように輝いている。十年、待った甲斐がありましたよ」
「…何を、言ってる」
「何ってもちろん、あなたのことですよ。あなたの気(オーラ)がまるで朱金の炎のようだと」
「ふざけんな」
無防備に近づいてくる男に、高耶はもう一度炎の塊を投げつけた。
白い炎は、今度こそ男に命中した。
至近距離であった為に今度は男も避けようがなかった。しかし。
「…乱暴な人ですねえ。もしかしてあなたは、口より先に手が出るほうなんですか?」
男は平然と。炎でできた光の玉を、まるで風船でも握り潰すかのように両手の中で消滅させた。
少なからず…高耶は動揺した。今までそんな形で自分の力を受け止めたモノはいなかった。しかも相手はどう見ても…どう探っても色情鬼としか認識されないのだ。高耶の胸に不安が過る。
「何モンだ、きさま」
一定の間隔を保って、男と対峙する。
「私ですか? 私は“直江”ですよ」
「てめえの名前なんか、聞いてねえよ」
瞳に力を込めて睨めつける。男は、眩しいようかのように目を細めて見詰め返す。
「…いつも、当たり前のような顔をしてあなたの傍にいる、あの半妖獣はどうしました?」
楽しげに、含みのある口調で男は言った。
高耶は、つと目を細め。探るように男を見返した。
「小太郎に…怪我を負わせたのは、おまえか…ッ」
あっさりと、男は疑惑を認めた。
「目障りだったもので、つい」
「きさま…ッ」
憎しみの目を向けられた男は、ククッと喉の奥で笑い、
「私を覚えていてください、高耶さん。今日はその為にあなたに会いに来たんですから」
馴れ馴れしく名を呼び、そんなことを言う。
…何を言ってるんだ、この男は。
「また、会いに来ます。その時は、私の名前を呼んでください」
男は、唐突に身を翻した。軽く地面を蹴り、宙に浮かぶ。
「てめえ…っ、いったい何のつもりだ!」
追いすがるように叫んだ高耶に、男は一瞬、薄く微笑んだ。
そして、その姿は夜の空の中に掻き消えた。
天空には、錆びたように赤い月。
―――、何なんだ、いったい……っ
高耶は暫し呆然と、男が吸い込まれるように消えた夜空を見上げた。
「隊長! 何かあったんですか?」
聞き慣れた声に呼ばれて、高耶は我に返った。
「堂森か。…どうした、何を慌ててるんだ?」
「どうしたって…、それはこっちの台詞ですよ。急に姿が見えなくなったんで心配したんですよ」
見れば、他の隊員たちもビルの向こうからわらわらと駆け寄って来ていた。
―――何してるんですか、隊長。
―――何かあったんですか?
口々に呼ばわりながら皆集まってくる。
「悪い。妙な気配を感じて、それを追ってたんだ」
苦笑しつつ、答える。
「何か…いたんですか?」
足下に散らばったコンクリートの破片と、一部が崩れ落ちたビルの非常階段に気づいて、堂森は眉をひそめた。
「いや…」
高耶は言い淀んだ。
「ただの…色情鬼だった」
高耶の表情は冷たく動かない。それへ、堂森は探るような目を向ける。
「…また、ですか?」
「また…?」
高耶は訝しむ。
「主殿から戻るとき、空港ロビーでも色情鬼に遭遇したじゃないですか」
「…ああ、」
そういえば―――
高耶は思い出した。あれは…あの時の。
「…あの時の色情鬼だった」
独言のような呟きを、堂森は聞き逃さなかった。
「あの時と同じヤツだったんですか?」
「隊長?」
他の隊員たちも聞き咎めて降り仰ぐ。
「まさか、あの時隊長に目を付けて…それで追って来たなんてことは…」
動揺しているのか、声を上擦らせて詰め寄る隊員に、
「…さあ、どうだか。例えそうだとしても、オレに色情鬼の手管は通じない。心配するな」
高耶は、表情の乏しい顔に微笑みらしきものを浮かべて、隊員たちを見返した。
そして。黒いコートのポケットからサングラスを取り出し、その深い黒の両瞳を覆い隠した。
「向こうの処理は完了したのか?」
固い口調で訪ねられ。堂森は元々の、ここに来た理由を思い出して、あわてて答えた。
「あ、はい。危険は全て排除しました。後は、空いてしまったあの穴を塞いでしまえば元通り居住区として使用できます」
「穴を塞ぐのは警察に任せればいい。オレたちの仕事はこれまでだ。…皆、よくやった。ご苦労だったな」
「じゃあ、これで終わりなんですね!」
「うひゃあ〜っ! やっと帰れる!」
高耶からの労いの言葉に、隊員たちは嬉しげに笑い合った。
それを横目に。堂森は携帯電話で別隊を率いて現場にいる副隊長の兵頭に連絡を取る。
「上への報告はどうするのか、って言ってますが」
携帯電話から顔を離して、堂森が聞いてきた。
「それも明日だ。今晩はお前らもゆっくり寝ていい」
「…だ、そうだ」
『堂森、復唱ぐらいしろ』
スピーカーに切り替えていた携帯電話から、兵頭の半ば呆れた声が返ってきた。
「隊長の声、聞こえてんならいいだろ。それより早いとこ車回してくれ。寒くてかなわん」
あっけらかんとした物言いに、高耶も失笑する。
「兵頭、皆一先ず国道まで出る。そこで拾ってくれ」
『わかりました』
連絡を終えて、彼らは集団で歩き出した。
当然の如く、その中心に仰木高耶を置き。悠然と歩いていく彼らの背を、赤い月が照らしていた。
*
意識を向けると、そこは暗闇だった―――
底の無い暗闇が視界いっぱいに広がる。
人は本能的に、暗闇を恐れる。武器と呼べるものを全く持たず、暗闇に光る肉食獣の瞳に怯えて暮らしていた頃の…遠い太古の昔の記憶を遺伝子が覚えているためなのかも知れない。
音も無く、空気すら動かない闇の世界が、高耶の周囲にあった。
ここは…夢の中。高耶には、それが分かっていた。
夢魔に、意識が囚われている――
(…ッ、)
不意に。
闇の中、微かな…何モノかの気配を感じた。
何かが、来る―――
自分では認めたくない恐れが、身の内に生まれる。
ヒュン――と、風を切る音が耳をかすめた。
『イ――ッ!』
突然、背中に焼けるような激痛が走った。
(鞭――?!)
ナゼと考える間もなく、また風を切る音が起こった。
痛みに思わず屈み込んだ背中に、続けざまにソレは打ち下ろされる。
『ヤメ…ッ、ヤメロ!』
非情に鞭を振うモノに対して叫ぶ。
少しでもその暴行から逃れようと足掻く高耶の体が強い力で押され、痛めつけられた背中を地面に叩きつけられた。
『ヒ――アアッ!』
途端、上がる悲鳴。
激痛の走る背中を浮かそうと身を起こしかける高耶の両腕が、見えざる手によって地面に縫いつけられる。
再び背中を襲う、激痛。高耶の息が一瞬止まる。
(あ…あ――…っ)
何かが、自分の上に圧し掛かってくる――!
痛みに霞む思考の中で、本能が感知する。
しかし、何も見えない。あるのは圧力だけで、生き物の気配は、無い。
両腕を真横に広げられた状態で押さえつけられ。痛みに引き攣る身体の上を、何者かの腕が這いまわる。
『イヤだ…ッ! やめろ! オレにふれるなぁ…!』
悪寒に身を震わせて、叫ぶ。
無防備に投げ出されていた両足がふいに浮かされ、太腿を左右に大きく広げられた。
身に付けているものは、何も無い。膝を曲げられ、裸の下肢に熱く太いモノが突きつけられる。
(ま…さか…っ)
『ヤメロ――!!』
いつの間にか自由になっていた両腕で、自分に圧し掛かるモノを押しのけようとし
た。しかし、両腕は虚しく空を掻き、圧迫感だけが高耶を地面に縫い付ける。
自分の上には確かに『何かがいる』のに、あるべき質量が、無い。
(そんな…っ)
自分に覆い被さっている無常の闇に、高耶は恐怖の目を向けた。
そして、質量の無い『アツイモノ』に、なす術も無く犯された。
『ひ…っ…ああああっ―――!』
その『アツイモノ』の圧迫感にソコは軋み、深く犯されたまま容赦なく揺さぶられ、地面に押し付けられた背中が新たに傷つけられて、更なる苦しみを高耶にもたらした。
『ヒッ――、やめ…ゆるし…て、』
高耶は、圧倒的な力に支配されて、無力にすすり泣く。
嬲る行為は止まない。それどころか、高耶が泣けば泣くほど、無慈悲にひどくなっていく。
『たすけ…て…っ、おねが…い…、ヒィ――ィッ!』
蹂躙は、どんなに高耶が哀願しても止まず。
背と下肢から流れ落ちた血を、ピチャピチャと舐める音を知覚した瞬間。混濁した意識は、自分を陵辱するものの正体を見極めた。
自分の上に圧し掛かる、影。
『おまえ…は…っ』
「―――ッ!」
唐突に、覚醒は訪れた。
目覚めた高耶は、重い頭に手を当てて搾り出すような溜め息を吐く。
額には汗。妙にだるい身体を起こして、身震いする。
(また――アノ夢を、見た)
ここ数日、高耶は夢魔に悩まされていた。
細かいことは、あまり良く覚えていない。目覚めると同時に大部分が霧散してしまうのだ。しかし、思えていることもいくつかある。夢の中で自分はいつも決まって誰かに…あるいは何かに追われ、追い詰められているのだ。どこか淫猥な、蜜のようにねっとりとした、夢。
夢の中で、自分は確かにその『何か』を死ぬほど恐れていた。逃げ惑い、泣き叫び。無様に這いずり、『何者か』に向かって哀願していた。
目覚めた瞬間、恐怖から逃れた安堵感に、身体が弛緩する。
(この自分が、たかが“夢”を恐がるだなんて)
現実の中では、何一つ恐いものなど無いというのに、おかしな話だ。
高耶は自身を嘲笑する。
高耶は、不本意な恐怖心を沸き上がらせる“淫猥な夢”の残骸を振り払うように頭を左右に振った。頭も身体も鈍く重かったが、こんなふうに何時までも寝床で燻っていても埒があかない。
暫し深く目を閉じ。自分の中の気を背筋に投げかけ、目覚め切れない躰に活を入れる。
そして、冷たいローリングの床に素足を下ろし、壁に備え付けのクローゼットの扉を開けた。
ラフな格好に着替え終えた高耶は、足早に離れの病棟に向かった。
広い病室の中の仕切りカーテンの奥。特別に設置されたアクリルケースの中で小太郎は眠っていた。
小太郎は、一度死んで蘇ったという経緯を持つ半妖獣だった。
高耶の身体に流れるのは、古く濃く聖質を帯びた貴い血。それ故に魔物につけ狙われやすい彼を守護する為に付けられた、使役鬼。
最も力を持つのは、金色に光る両眼だった。物の形も保てないような下等な魔なら、目線を合わせただけで、火にあたった雪のように溶けてしまう。
しかしその両眼は、今は傷を負って固く包帯で覆われていた。
―――あの男、今度会ったら、ただじゃおかねえっ
高耶は、忌々しげに呟いた。憤慨とともに、昨夜の色情鬼の精悍な顔が脳裏に浮かぶ。
忌々しいまでに整った顔と、自分より一回りは大きかった、無駄な肉の無い見事な体躯。そして、人を惑わす…低いくせに甘い声。
小太郎に怪我を負わせた、魔物―――
男の姿を頭に思い描いて、思考が停滞する。
何故か…、あの男の手の大きさや、冷笑する口元…といった、どうでもいいような部分の映像が、鮮明に脳裏に思い出される。
――なんで、だ?
苛立ちを覚えて、高耶は自問する。
――惑わされているのか…? 冗談じゃない!
嫌な映像を消してしてしまおうと、高耶は首を何度も振った。
と。いつのまにに目覚めたのか。
見るともなしに見ていたガラスケースの中で、小太郎が両手足を水の中でもがくように動かしていた。
「小太郎っ、まだ動くな!」
思わず叱りつけるように叫んで。すかさず、傍らの看護士に獣医を呼んでくるように指示した。部屋に誰もいなくなると一転、高耶はガラスケースの側に屈み込んで優しい声で小太郎に語りかけた。
「よく頑張ったな。…お前が無事で良かった。心配したんだぞ。一時はもう駄目なんじゃないかと思って…。本当によかった」
何日かぶりに目覚めた小太郎に微笑んで見せた。
廊下を走る足音が近づいてくるのに気づいて、高耶立ち上がった。待たずして、獣医が病室にかけつけた。
小太郎に寄り添うように立つ高耶に軽く会釈して、
「申し訳ありませんが、退室をお願いします」
言われて、高耶は素直に頷いた。
「こいつの事、よろしくお願いします」
言って、もう一度小太郎の顔を覗き込んだ。
「今日は帰る。けど、また見舞いに来るから。…がんばって早く傷を直せよ」
小太郎は聡い。ガラスケースの側面に手を触れて励ます高耶の言葉を理解したのだろう。ガラス越しに高耶の掌を舐める仕種を見せた。
「じゃあ、またな」
それに頷いて、高耶は病室を出た。
いつもなら食堂にいるはずの時間。非番の隊員たちは、娯楽室の大きな半円型のテーブルの回りに固まって騒いでいた。
ざっと見て、三・四十人はいる。ということは、巡回や夜勤の当番以外の隊員のほぼ全てがここに居るということだ。
「何をやってるんだ、お前たち」
「あ、兵頭さん」
騒ぎを見咎めて廊下の窓から顔を覗かせた兵頭に、隊員の一人が答えた。
「アミダですよ、アミダ」
「アミダ…? 何の」
要領を得ない答えに、また問い掛ける。
と、また別の隊員が振り返って答えた。
「仰木隊長の護衛する人間を有志で募ったら、こんなに増えちまって。で、結局公平に…ってことで全員でアミダ引く事にしたんですよ」
「…隊長には、許可を取っているんだろうな」
聞けば、本人にはまだ打診もしていないと言う。
「そんなの…、仰木隊長に言ったって断られるにきまってるじゃないっスか」
「だから〜、早いとこ決めて、無理矢理にでも隊長の許可をもらおうとか思ってるんじゃないですか」
隊員たちの浅慮に兵頭は呆れた。
「馬鹿か、おまえらは」
兵頭の細く鋭い目で睨み付けられて、彼らは肩を窄めた。そして、口々に言い訳をはじめた。
「けど、兵頭さんだって心配じゃないですか? 頼みの綱の小太郎は当分の間役に立ちそうにないし…」
「隊長、ここんところ公安の奴らにまで目の敵にされてっから〜」
何か自分たちの手に負えないことがあると直ぐに話をこっちに振るくせに、あっさり事件を解決されると、手柄を横取りされたと逆恨みする度量の小さい奴ら。高耶自身はそんなことにはまったく頓着していなかったが、相手は曲がりなりにも国家公務員の一員。難癖付けられて、豚箱に放り込まれないとも限らない。(実際、曾てそういう目にあった隊員がいないこともないのだ)
「それに隊長、色情鬼に狙われてるっていうし…」
なぁ−と言って、回りの人間に相槌を求める。
「どういうことだ?」
別隊で行動していた兵頭は、昨夜の些細な経緯を知らない。
「昨日、妖気(どく)消しの作業中に何時の間にか隊長が居なくなって、それで捜しに行ったら、どうも色情鬼が現れたらしくって――」
「しかもそいつが、この間の“中央”から戻るときに空港で見掛けたのと同じヤツで。隊長に自分から名乗りやがったらしいんですよ」
魔が自ら名乗りを上げる。それは、宣戦布告である。しかし一方、魔が人間に名を明かす(聞かせる)ということは、その相手に対して契約の意志がある(色情鬼の場合それは肉体関係を指す)ことをも示唆する。
「冗談じゃないっスよ、まったく…」
「色情鬼なんぞに隊長が拐されるわけねえとは思うけどなあ…」
「そりゃそーだけど−…」
「それでも、万が一ってこともあんだろ。だからこうやって有志を募ったんだろうが」
「俺、隊長が色情鬼にいいようにされるなんて想像しただけでぶちキレそうだ」
「オレなんか、鼻血出そう」
「違うだろ、オイ」
「え? 違わねーだろ?」
「なに言ってんだよ、バーカ」
「馬鹿とはなんだよ、馬鹿とは。大体、そう言うおまえは、想像したかよ?」
「なーにを」
「何ってそりゃ、隊長が色情鬼にヤラれるとこ――」
「仰木隊長が、そんなカンタンにヤラれるかよっ」
「ヤラれるヤラれる、言うなぁ!」
「…何の話をしてるんだ、お前らは」
兵頭は、皆がこんなところで屯している理由を聞いたのだったが。いつの間にか話題がずれていた。
「騒がしいな、何をやってるんだ?」
「染地さん」
兵頭の脇から、古株の染地が顔を覗かせた。四国本部からの使いで来たらしく、手にはメール用の細く平べったい藍色のボックスを携えていた。
「皆、集まってるのなら丁度いい。お前たちが心待ちにしていた情報を持って来てやったぞ」
きれいに手入れされた口髭に触れながら。染地は笑って言った。
「隊長の出向期間の二ヶ月の延期が決まった。正式な通達書類は、三日後に交付されるそうだ」
途端。奇声が上がった。
「いやっほ〜っ!」
「やっりい!」
「ってぇことはぁ、あと四ヶ月隊長と一緒に居られるってぇ事になるのか〜。うひゃ〜、ラッキー!」
「…そう、素直に喜んでもいられないと思うがな」
染地は、声を上げて喜ぶ彼らに苦笑した後、傍らの兵頭に目配せした。
「何か、あるのか?」
眉を微かに顰て、聞いた。
「実は。“竜王”から、隊長に護衛が派遣されることになった」
二ヶ月延期の条件として、“竜王”側から提示された事柄らしい。
「しかも、来るのは雑魚じゃない。“水希竜(すいきりゅう)”の簪名をもつ−武藤潮だ」
「…どういうことっスか、それ」
「武藤って奴、名前は聞いたことあっけど…なんか、マズイやつなんっスか?」
染地は、これは上の見解だが…と前置きを置いて、
「武藤潮は、仰木隊長と…その簪名の通り対の存在と言われる人物だ。親友だとも言われている。この出向には最初から猛反対だったらしい。その人物が態々ここに来るということはつまり、仰木隊長を連れ戻しに来るつもりだということだろう、と」
「…んだよ、それ〜っ」
ブーイングが口々に上がった。
「色々イチャモンつけに来るってことですかぁ? ジョーダンじゃないっスよ、それ」
兵頭は彼らを見回し、
「仰木隊長がここに呼ばれたのは本来お前たち、はみ出し者の隊員の矯正指導目的だったはずだ。それが、仰木隊長本人の希望とはいえ今現在は実際に現場に出かけての実戦指導まで行なっている状況だ。向こうから見れば明らかな契約違反だ。中央はそこの処を色々ごまかして今回の期限延期を取り付けたんだろう」
「大義名分とやらに縛られて断わり切れない中央からの延期の要請を、武藤は隊長を説得することで断念させようとするつもりなんだろう。下手をするとここに居る全員足元掬われることに成りかねんということだ」
何時になく深刻な面持ちで話す染地に、男たちは事態の重大さを知らされる。
「隊が解体させられる憂き目にあいたくなかったら、全員、気を引き締めろ」
兵頭の活に、だけど…と隊員の一人が口を開いた。
「けど、俺たちのこと見捨てるほど、隊長は冷たい人間じゃないっスよね…」
「そりゃそーだけど−…」
親友とか対とか呼ばれるほど、隊長の特別でもない。そのことに気づいて、彼らはシュンとなった。
「…んなことより!」
と、突然一人が立ち上がった。
「んなことより、問題はこのアミダじゃねーか! せっかく護衛の順番決めてたってぇのに、ぜーんぶ水の泡じゃねーか! どうしてくれんだよぉっ!」
「……。どうにかしなくちゃならないのは、お前だ」
次元の低さに呆れて、兵頭は呟いた。
*
男は、闇の中で嘲笑する。
『もうすぐ、アレが手に入る』
ククク…と喉の奥を震わせて、笑う。
『せいぜい、護られていなさい。何人集まろうと、所詮は烏合の衆――』
――私は、欲しいものは全て手に入れる。そう、全て…
それまでは、夢の中で遊んであげますよ。高耶さん―――END
*椎名コメント*
K−330さまからの素晴しい頂き物です♪ちらちらと出てくる直江がカッコイイ…これからどうなるのか目が離せませんね♪この作品の感想は、うちのANOTHER BBSかk−330さまに直接メールでお願いします♪
K−330さま、次回もよろしくお願いします♪