ダブル・フェイク *序章*
BY k−330さま
ざわめく空港ロビー内。
ガラスのパーテーションに区切られた広いインペリアル・ルームを、群青色に染め抜かれた集団が陣取っていた。
空港の利用客たちの誰もがその存在に…日常とは掛け離れた存在の群れに、戸惑いを隠せない。チラチラと遠まきに注がれる視線。好奇の目。
しかし当の彼らは、周囲のそんな反応など気にも止めていなかった。慣れている…ということもあったが、今の彼らにはそんな些細なことに構ってられない理由があったのだ。
「――遅いですね…。すぐに追いつくから先に行ってろって言われてたのに…」
ボソリと。年少隊の一人が思わずっといった態で口を開いた。彼らは、もう二時間もこうしてただ一人の人間を待っていた。
「まさかこのまま、審議会に拘束されて帰られない…、なんてことないよなぁ」
他の一人が続けて呟く。
過ぎる時間と共に積もる焦燥。その言葉は、そこにいるもの全ての思いを代弁していた。それに触発されて、他の者からも声が上がった。
「おいおい冗談じゃねーぞ! 俺らは、そんなことの為にここまで来たわけじゃねー
ぞ! 単に事件の結果報告に来ただけだろうがよう!」
「俺たちゃ指示通り事件解決したんだ、誉められても責められる筋合いはねーぞ!」
「大体、最初からおかしかったんだよ。なんだって、できたばっかりの地方の実戦部隊に中央から直々に稼動命令が下るんだ?」
「んなこと俺知るかよっ、俺に聞くんじゃねーよ!」
その場で上がる声のほとんどが若くてガラの良くないもの。よほど欝憤が溜まっているのか、周囲の目も憚らず大声でがなり立てる。
「上の考えるこたぁさっぱりわかんねーけどよ…。俺たちゃ、別に問題起こしてねーよなぁ?」
「…仰木隊長が隊長になってからは…な」
彼ら十数人の中で一番地位の高い、班隊長の堂森がボソリと答えた。
血気盛んな彼らは、元々はみだし者の鼻摘みもの集まりだった。皆それぞれに特殊な力を持っていることもあって一層扱いにくく、彼らを束ね御せる人物が今までいなかったのである。
それを“竜王(会)”からの派遣という形で部隊の上に立った“仰木高耶”が今の形に纏め上げたのである。
彼が就任してわずか三カ月。彼らの日頃の素行の悪さはすっかり形を潜め、以前とは比べものにならないほど大人しくなった。
それと言うのも“仰木高耶”が彼らに対して行なった更生指導が功を奏した故だった。
実戦部隊−というのがそれで、彼は本来受け身である組織(なんらかの事件があっても警察のように自らその解決に乗り出すということはせず、依頼が来て初めて動く…という類の受動的組織)の中にあって唯一積極性を持って動く、軍隊に似た部隊を作り上げたのである。
一人一人の力の特性を生かした役目を与え、地位を与え、自由を与え。しかし、規律は規律として絶対厳守を貫かせた。
要するに“仰木高耶”は、彼らの行き場の無い特殊な力、方向性の無い熱い血の滾り…といったものに、流れ込む先を与えてやったのだった。
その効果の程は、部隊の解決した事件の数で顕著に現れている。故に今回の『中央から直々の事件収拾要請』と相成った…らしいのだが。
どうにも、胡散くさいのだ。どこがどうと、ハッキリいえないところがもどかしい。隊員たちの苛立ちの根も、それだった。
実を言うと。班隊長の堂森にだけは、仰木隊長が中央の審議会に足止めをくらっている理由が知らされていた。
足止めの理由は説得。中央にそのまま留まる旨の説得だった。
(…中央は、仰木隊長が欲しいのだ)
しかし、“仰木高耶”はあくまで“竜王”からの出向である。
“竜王”は“麒麟”に属しているが、それは表面的な関係にすぎず、“竜王”自体、
“麒麟”に匹敵するほどの古い歴史と権力を持った巨大な組織である。
組織の間でどんな遣り取りがあって仰木高耶の出向が決定されたのかは知らないが、直接掛け合ったところで、“竜王”があの彼を手放すとはとうてい思えない。
今回の事件の収拾命令と事件解決後の直接報告義務。それから三日間、はっきりした理由のないまま部隊を足止めにしたこと。それらは皆、中央審議会が仰木高耶を自らの内に引き込む為に仕組んだもののようなのである。
(…取られてたまるかよ)
堂森は思う。
あんな人間、他に…何処にもいやしない。あんなふうに他人を引きつけなさない、鮮やかな引力を持った人間など。
たとえ相手が中央のトップでも、渡すわけにはいかないのだ。いずれ“竜王”に戻るであろう彼ではあっても。今は自分たちのものなのだ。
皆の不安の大きさはそのまま、いかに彼が彼らにとって『失えないもの』である事の証。
彼は、心配するな−と言った。中央の執拗さに多少手間取っても、必ず戻るからと。
しかし、不安がる他の隊員たちに今この事を聞かせてわけにはいかなかった。そんなことを一言でも漏らそうものなら、一層収拾がつかなくなるだろう事は目に見えている。
堂森は敢えて冷静を装った。
「とにかく皆、もう少し待て。何かあれば同行の兵頭から連絡が入ることになっている。だから…」
「何かってなんだよ 」
「いったい、何があるってんだ」
「堂森、おまえ何か知ってんじゃねーのか?」
皆の不安を宥めようと言った一言がヤブヘビだった。
この中で地位が一番高い…といったところで、隊が整う前までは同じ穴のムジナ、悪仲間の一人である。堂森ごときに隊の押さえが効こうはずもない。
「と、とにかく! 隊長が帰るのを大人しく待ってろ!」
大声を上げて怒鳴り散らす他なかった。
「何をやってるんだ、あいつらは」
空港内のホテルのロビーに備え付けられたモニター画面を見ての一言だった。
兵頭は、連れの人物が発したさして大きくない独言に、周囲のほとんど全ての視線が集まったことに苦笑しつつ答える。
「やはり、先に連絡をいれておきますか?」
言いながら、群青色の上着の内側から携帯電話を取り出した。
「いや、いい。それより、俺のほうはいいから先に行ってあいつらを大人しくさせてくれ」
画面からはもちろん声など聞こえてこないが、彼らが何を言ってるか大体の想像はつく。
そこに高耶本人がいなくても指示や命令さえ与えておけば纏まるほど隊員の統率がとれているわけではないようだ。
「目立つような行動はするなと伝えておいたのに、ったく…」
目立つことをしなくても、ただそこに立っているだけで目立ってしまう人物の口から漏れた独言に、兵頭は再び苦笑する。
「では、先に戻ります」
一言云い、軽く会釈をして踵を返した。
長身の男の背中が見えなくなるのを待って。高耶は手近のソファーに腰を下ろした。
目の前のソファーに座られてしまったアベックと思しき男女は、途端に落ち着かない素振りで周囲を見回した。
彼は、冬だというのに濃いサングラスを掛けていた。
その隠された目線が自分たちに注がれているように思えて、気恥ずかしさに焦るような気分になってしまったのだ。けれど。それが嫌ならさっさと席を立てばいいもの
を、二人ともそこから動こうとはしない。
二人の心の中では気恥ずかしさよりも好奇心のほうが勝っていた。ずっともっと見ていたいと思わせる何かが目の前の人物にはあったのだ。
しかし。彼らが自身の中に沸き上がった好奇心を満たす間も無く、その奇妙な蓬瀬は終わった。
何の前触れも無く。いきなり彼は立ち上がった。
「キャッ…」
無意識に彼を凝視していた女性は、思わず短い悲鳴を上げた。
高耶は振り向き、女性を見下ろす形で一言呟いた。
「失礼」
口元を微かに綻ばせて、軽く会釈。しなやかな仕種で彼らの前を通り過ぎていった。
去っていく後ろ姿もしなやかで。彼女はふう…と、無意識に詰めていた溜め息を吐いた。
そして、となりの男性に囁いた。
「ねえねえ、“麒麟”のあの…制服っていうのかしら…あれってダサイとか思ってたけど、洋服もやっぱり着る人を選ぶのねえ。今まで見たことあるのはおじさんばっかりだったせいかしら…なんていうの? ぜんぜんカッコイイじゃない? なんだかストイックで…」
「…そうかあ?」
否定も肯定もせず短く答えて。
彼は、自分の恋人が他の男に対してうっとりとした視線を注ぐのを複雑な思いで見やった。なぜなら、実は彼も彼女と同じことを感じていたから。
「それより、あのサングラス…もう外はかなり薄暗いってのに、あれでまともに見えるのか? あんな真っ黒じゃ、飛行機のタラップで転けるんじゃないのか?」
彼は、何気なさを装って会話の方向を変えようと試みる。
「あら、見えるんじゃないの? 案外、見えすぎて困るから掛けてるんだったりして」
「連中にはそういう能力もあるのかな?」
「知らないわよ。本人に聞いて見れば?」
彼女が意地悪く笑うのへ、彼も笑って答えた。
「それができりゃ、悩まないって」
ともあれ。暫くの間、彼らの話題は同じ人物に終始したのだった。
ロビーを出た高耶は、まっすぐ検閲室に向かった。
自分が知らせるより早く、こちらに向かってくる彼の姿を目に留めて、案内の男は狼狽えた様子で駆けつけた。
「遅くなりまして申し訳ありません。丁度今、お呼び出しに行こうと思っていたところでした」
そのまま早足で検閲のスペース内を案内され、大小様々な檻の置いてあるゲート前までやってきた。 その中に、貨物やペットではなく、人間と同じ扱いで搭乗を許可される為に必要なチェックを終えた、彼の大事なパートナーが待っていた。
「小太郎」
呼ぶと、大きな黒い塊がのそりと動いた。
係員が開放するより早く、身軽にゲートを飛び越え。いつもの定位置である、高耶の左側足下に寄り添った。「待たせたな。やっと四国に帰れるぞ」
艶やかな黒い毛並みの背中を撫でて、呟いた。
2週間ぶりの帰途だった。
搭乗ゲート前。
吹き抜けのフロアーの二階から見下ろすと、彼らはまるで青い染みのように見えた。
ロビーから移動してきた彼らの間に一切会話はなく。静かな中、重い靴音だけが響いて、一種異様な雰囲気を醸し出していた。
隊員たちに取り囲まれるようにして歩いてきた高耶は、ふと二階に目をやった。
同時に、足下の黒い豹が低く唸った。
「隊長?」
両脇にいた兵頭と堂森が気づいて、彼の目線を追った。
「魔物が…、二匹」
呟いて、サングラスの下の両目を鋭く細めた。
彼の言葉に、隊員全員の足が止まった。周囲に緊張した空気が走る。
「…捕えますか?」
高耶の目線の先を見据えたまま、兵頭が言った。
「……」
高耶は答えず、静かにサングラスを外した。鋭く鮮烈な視線でソレを射貫く。
「一匹は…色情鬼。もう一匹は、人形(ヒトナリ…だな」
言って。サングラスを掛け直した。それだけで、もう目もくれない。
雑魚は放っておけ、ということだ。
青い魚の群れのように、彼らは一斉に動き出した。
「どうした、小太郎。行くぞ」
まだ視線を外さないでいる彼に、高耶は訝しげに声を掛けた。
そして。釣られて見上げた視線の先、ソレは嘲笑ったように見えた。
「……」
高耶の胸に、不快感が過る。それを敢えて押し殺し、視線を反らした。
不吉な予感の様なもの…を微かに感じながら。
「目当てに逃げられた割りには、ずいぶんと嬉しそうだな、直江」
高耶が“人形(魔と人の混血)”だと見当をつけた男が言った。
「嬉しいに決まってるだろう?」
相手の皮肉をさらりと受け流し、直江と呼ばれた男は薄く笑った。
「アレがいずれ自分のものになるのか…と、そう思うだけでゾクゾクしてくる」
十数人の部下に囲まれて現れた彼はまるで、忠実な騎士に傅かれ守られた高貴な姫君のようではなかったか。
決して大柄ではない躰から放たれる真紅のオーラ。こちらを見上げ、そして瞬時に見極めて踵を返した時に見せた仕種の、粗野とも優美とも取れる潔さ。そして、射殺す程の鋭さで向けられた視線、その表情。
(ああいうのを、『男を勃たせる顔』と言うのだろう)
顔も躰も気性も…何もかもが、自分の中の欲望を刺激する。しかも。アレの躰に流れる命の源…真紅の液体は、滅多にない極上の味と香気を持っているのだ。
「今回はニアミスだったが…まあ、仕方あるまい」
階下のロビーを見下ろしたまま、男は呟く。
彼ら二人は、ほんの十分程前にここに到着した。エアバスを降りて、電源を入れた途端に掛かってきた電話の内容は、良い知らせには程遠いものだった。
中央もずいぶん頑張ったようなのだが、やはりそう簡単に取り込むことはできなかったようだ。それでも、本人の顔を見られただけでも良しとするべきだろう。
男は、高耶に“色情鬼”と言わしめた秀麗に整った容貌を酷薄に歪め、
「中央の連中が役立たずなら自分自身の手で捕えればいい。かえって、そのほうが楽しめるんじゃないか?」
言って、想像する。
あの人並みの欲望にも無関心そうな顔に愉悦の表情を浮かべさせたなら。
あの何者にも屈することを由としない情強い両の瞳に、怯えと恐怖をにじまさせたなら。
なんて愉快な想像だろう。
「次に会う日が、楽しみだ」
男は笑い。
磨き抜かれた巨大なガラスの内側から、黄昏の空を行く、彼を乗せたであろう白い翼を見送った。
END
k−330さまからの素晴らしい頂きものです♪
週刊連載して下さるそうですので、続きを楽しみに待ちませう♪♪
k−330さま、どうぞよろしくお願いします♪